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> 論文・エッセイ

金光翔「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」 

1  日本は右傾化しているのか?


我ながら大きく出たタイトルであるが、結局、<佐藤優現象>をはじめとして、私がこのブログで問題にしてきたテーマとそれへの(無)反応は、この問いに帰着するのではないかと思う。

もう少し問いを絞れば、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後、日本は右傾化しているのか、しているとすればその支持層はどういったものなのか、ということだ。

多分、日本のリベラル・左派のかなりの部分は、本音では、「右傾化していない」と認識していると思う。格差社会を是正しようという声は保守の間でも強まっており、一時期に比べ、改憲の声も弱まっている。首相の靖国神社公式参拝も控えられている。田母神問題で見られたように、「大東亜戦争」を肯定する人物が政治的な重職に就くべきではないという見解は、保守層も含めた日本のコンセンサスになっている・・・といった具合だ。

だが、こうした認識は、以下のような問いに当然逢着する。それでは、昨年見られた、ほとんど歯止めを失ったかのような中国バッシングは一体なんだったのか?朝鮮民主主義人民共和国のロケット発射、核実験への一連の麻生内閣の対応に対して、ほとんど反対の声が挙がらないのはなぜか?海賊対策という名の対テロ戦争への日本の参加に対して、ほとんど反対の声が挙がらないのはなぜか?朝鮮総連への弾圧が容認されているのはなぜか?外国人労働者流入反対論が流行していたり、入管法の改悪がほとんど話題にならなかったりするのはなぜか?・・・等々。

「右傾化していない」というリベラル・左派の人々は、これらの問いに対してどう答えるか。単純化して言うと、これらの、私からは右傾化と見える事象に対して、「別に問題ないよ。自分も賛成だよ」と答える()のが民主党や朝日新聞であり、「確かに行きすぎだと思うが、一定の妥当性はあると思う」と答える()のが護憲派メディアの大半である。両者は、「普通の国」論(「国益」論)にすでに取り込まれているからこそ、そう考えるのである。

日本は右傾化している。だが、問題は、むしろその次にある。その右傾化は誰が進めているのか、支持しているのか。特に、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後はどうなのか、といった問いだ。

多分、中国や韓国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の、官民含めたレベルでの主要な論調は、「日本は右傾化している」といったものだろう。私もその認識には完全に同意する。そして、この「誰がその右傾化を進めているのか」という問いに対する答えとして存在するのは、恐らく、「日本では戦前の軍国主義の残存勢力が、いまだに強いため、かつての戦争被害を民衆が忘れていき、右傾化していっている」というものである。

念のために言っておくと、こうした理解は大筋では正しい。だが、この見解は、「右傾化していない」という認識と同様、多くの疑問に逢着することになる。それでは、民主党はなぜ勝っているのか?首相が靖国参拝しないのはなぜか?改憲の声が、かつてほどには高まっていないのはなぜか?・・・等々。

特に、韓国左派からすれば、今の日本の状況は複雑怪奇に見えるだろう。日本は間違いなく右傾化している。ところが、日本は次の衆議院選で民主党が政権を握りそうだ。ところが、その民主党の対外政策は自民党と大して変わらず、90年代初頭には日本の右傾化の象徴的な政治家であった小沢一郎の影響力が強い。ところが、かつて韓国民主化闘争を支援した『世界』のような日本の「進歩派勢力」は、こぞって民主党を支持している。ところが、日本の「良心派」の代表的知識人たる和田春樹は、右翼の佐藤優と連携している。さっぱりわけがわからないではないか。

こうした複雑怪奇さから、韓国左派の一部からは、「日本は実は、それほど右傾化していないのではないか。むしろ、私たちの方が「ナショナリズム」の過剰だったのではないか」といった「反省」(例えば「韓日、連帯21」。中心人物の一人の朴裕河はむしろ確信犯だが)が出てきているように思う。韓国左派の間の、日本の学術や「進歩派」への過大評価も、そうした「反省」を後押ししているだろう。

それはさておき、「右傾化している」という認識に立っていると思われる人々の諸発言を見ると、右傾化の説明は、以下の二つに集約できると思われる。

一つ目は、日本の「進歩派勢力」が、右派勢力に取り込まれた、という説明である()。多分、中国・韓国・北朝鮮では、民衆レベルでは、こうした認識をするはずである。この認識はそれほど間違っていないと思うのだが、「誰が右傾化を支持しているか」という問いに対しては、十分な答えにはなっていないように思われる。

二つ目は、日本においては、本音では「大東亜戦争」肯定史観を持ち、戦前の軍国主義勢力とも関わりの深いような右派勢力が非常に強大であり、安部政権崩壊後も、福田政権下でも、麻生政権下でも、こうした勢力が基本的に政治・社会を牛耳っている、とする説明である()。この認識は、必ずしも「国益」論に組しない護憲派の人々にも多いように見える。この立場は、上で挙げた②とは矛盾しているのだが、その辺は無頓着に、②のような見解を持ちつつも同時に、こうした認識を持っている護憲派も多いように思う。

この立場からすれば、田母神発言は氷山の一角であり、自衛隊は文民統制の枠組みからの脱却を図っており、クーデターの機会すら狙っていることになる。また、国家権力は、民衆の一挙手一投足をも監視下に置く「監視国家」の実現を目論んでいることになる。そして、「大東亜戦争」を全面的に擁護し、かつ社会的影響力を広範に持つ小林よしのりのような人物は、何を措いても打倒しなければならない人物となる。

ついでに指摘しておくと、<佐藤優現象>は、その支持者を①②④の立場の人々から得ている。一般読者レベルでは①の立場の人々が中心だが、マスコミレベルにおいては、②と④といった矛盾する認識を同時に持っている人間(編集者やジャーナリスト)が中心的な支持者である。



2  日本の右派勢力をどう認識するか 


上のように述べれば、では、お前は誰が日本の右傾化を進めており、支持していると考えるのか、と当然問われよう。それについて述べる前に、④の「日本においては、本音では「大東亜戦争」肯定史観を持ち、戦前の軍国主義勢力とも関わりの深いような右派勢力が非常に強大であり、安部政権崩壊後も、福田政権下でも、麻生政権下でも、こうした勢力が基本的に政治・社会を牛耳っている」という認識についてコメントしておこう。

簡単に言うと、この認識は、日本の右派勢力の評価を誤っているのではないか、と思う。右派勢力の中でも、復古的な人々の力を、ある点では過大評価しており、ある点では過小評価(この点は後述)しているのではないか。

過大評価というのは、以下の点である。④の認識によれば、日本の右派勢力は、日本の「戦後レジームからの脱却」を目指しており、戦前のような権威主義的統治体制を打ち立てようとしていると認識されている。だが、「<佐藤優現象>批判」でも指摘したが、そうした懸念の多くは取り越し苦労ではないか。侵略国家であるアメリカにしてもイスラエルにしても、日本よりもはるかに議会の論戦や市民運動は活発であり、「リベラル」な社会である。「監視国家」やらクーデターは必要ないのである。クーデターに関して言えば、日本の場合、そもそもアメリカがそれを許すはずはないことは自明であろう。

また、右派勢力の中でも、少なくとも今の大都市中流層~上層の人々の中で、小林のように、日本の対米自立と単独核武装、「大東亜戦争」の全面擁護といった思想を本気で信じている人間が、それほど多いとは思えない(ただし、アメリカがコントロールし得る形でならば、将来、日本の核武装は十分起こり得るだろう)。恐らく小林は自覚していると思われるが(注1)、そうした主張の実行は「国益」に合致しているとは必ずしも言えないからである。小林の思想自体は右翼思想としては正統的なものであろうが、正統的であるからこそ、小林は右派論壇(自体が消滅寸前だが)では、表向き敬意を表されつつも敬して遠ざけられているのである。

「国益」論的に言えば、東京裁判の判決を容認し、アメリカの「ポチ」とならざるを得ないと、大都市中流層~上層の保守派の大多数は考えているはずである。彼らは、そこまで「思想」や「理念」に興味を持っていないだろう。これは、別に日本の保守層が賢明だからということではなく、小林が苛立ちながら指摘するように、保守層が「ニヒリズム」にまみれているからである。要するに、右派勢力の中でも、大都市中流層~上層を中心として、戦後体制を基本的に支持する層がかなり強くなってきているのではないか、と思う。

小林は、日米安保を容認しながら「東京裁判史観」をも容認するメディアや人物を、漢字の「左翼」とは区別して、「サヨク」と呼んでいる。この「サヨク」は、東京裁判の判決は容認しつつも、日本の侵略と植民地支配の過去清算の方向には進もうとせず、安保体制は容認しつつも、日本国憲法の精神を称えている、矛盾だらけの存在である。ヌルい、悪しき意味での「戦後民主主義」的価値観そのものだ。

そして、小林からすれば、朝日や毎日はおろか、読売も産経も『文藝春秋』も「サヨク」である。日本の近代の栄光を誇ろうが中国や韓国に対して強硬論を唱えようが対テロ戦争への参戦を呼号しようが、「東京裁判史観」を容認して戦後体制を容認する連中は、結局は「戦後民主主義」の子供なのであるから、「サヨク」なのである。

要するに、右派勢力の中でも、近年では、戦後体制を基本的に容認した上での右派である「サヨク」が、大都市中流層~上層を中心に広がっているのではないか。佐藤優の右派の支持層もその辺だろう。したがって、④のような認識では、小林や田母神のような「大東亜戦争」肯定史観の右派に対抗するために、「サヨク」的な右派と連携する――もちろんこれこそが<佐藤優現象>である――ことになりがちである。



3 「サヨク」または「ウヨク」の思想①――福田和也 


小林のこの、朝日も産経も文春も一緒にする十把一絡げぶりを見て、笑う人もいるだろう。だが、私はこの認識は的確だと思う。私からすれば、十把一絡げにされた「サヨク」は、そのまま「ウヨク」と言うべき存在である。この「サヨク」であり「ウヨク」である人々の信条の最大公約数は、以下の言説に端的に示されている。


「日本国憲法には、戦争から日本人が得た実感がこめられていることも否定できない。

このことは、日本国憲法を批判的にみて、改めるべきだと考えている改憲派の人たちにこそ、真面目に考えてほしいと思う。

僕も、個人的には、今の憲法を変えるべきだと思っている。だからこそ、このことは深刻に受けとめているよ。

もしも憲法を変えるのならば、そこに一定の内実のごときものを与えてきた、戦後日本人の、平和への意志をどのように受けとめるのか、憲法が担ってきた、祈りのごときものを、どのように自分たちで担えるのか、真剣に考えなければならない。」(福田和也『魂の昭和史』小学館文庫、2002年237頁。単行本初版は1997年。強調は引用者、以下同じ)

「経済成長がすすむにつれて、かつて日本社会を悩ませていたいろいろな問題が解決していった。

農村の貧困、労働者の失業、地方と都会の格差、医療、教育の機会不平等、封建的な家庭の抑圧といった、近代日本がずっとかかえてきた課題が少しずつ解消されていく。

これは、戦後日本のたいへんな達成だ。たしかに日本は、国際的に見ればあいまいな位置にいたし、戦前の日本人がもっていたような理想をなくしてしまったけれど、このようにバランスのとれた社会を実現した民族は世界中どこにもない。その点は誇るべきだと思う。」(同書、264頁)


今の『世界』や『金曜日』に載っていても何の違和感もない文章である。戦後日本は、「憲法9条」(の精神の)下で、平和的な経済発展をとげ、誇るべき豊かな社会を築きあげた「平和国家」であるという認識。

こうした認識が虚偽であることを示すには、前にも引用したが、「日本が本格的な軍隊を保有しなくても「平和体制」を維持できた理由は、アメリカの対アジア戦略に組み込まれ、米軍基地の75パーセントを沖縄に駐屯させ、また韓国が日本の戦闘基地あるいは「バンパー」としての役割を引き受けたからである。言い換えれば、周辺諸国が軍事的リスクを負担することによって、戦後「平和体制」が維持できたのである。わかりやすくいえば、韓国の厳しい「徴兵制」は日本の「軍隊に行かなくともいい若者の当たり前の権利」と関連しあっているということである。」(権赫泰「日韓関係と「連帯」の問題」『現代思想』2005年6月)という言葉だけで十分だろう。ついでに言えば、渡辺治らが言う、1960年代以降の日本の、企業社会的統合に基づいた小国主義路線なるものも、韓国の軍事独裁政権成立(1962年)とワンセットであって、それを再評価するのは馬鹿げている。

上の福田の文章で語られている「平和への意志」「祈りのごときもの」は、日本の加害責任には思いが及ばないものであり、安保体制の一角を占めることによって周辺諸国への軍事的脅威となることや、朝鮮戦争・ベトナム戦争等に荷担したこと、周辺の軍事独裁政権を支援してきたことを問い直す姿勢とも無縁のものである。それら抜きでは「戦後日本のたいへんな達成」はありえなかったのだから。

福田は、上のような文章を一方で書きながら、周知のように、右派の代表的な論者であり、以下のような発言までしている。


「べつにオレは、特別にというか本質的な理由で(注・首相の靖国参拝に関して)八月十五日にこだわっているわけではないですけれどね。でも、○ャンコロがいやがって騒ぐから、大事なわけだ、政治的に。/いずれにせよ、何日にであろうと、日本の総理大臣が、靖国神社に行けば、チャンさんは騒ぐんだから。」(『俺の大東亜代理戦争』ハルキ文庫、2006年8月、65頁。単行本初版は2005年9月)

「この間、サッカーのアジアカップで、日本チームに失礼なことをしたチ○ンコロがだいぶ沸いたけれど、あれも、結局は政府に踊らされているわけだ。」(同書、69頁)


こうした文章は、上のような「サヨク」的認識と「二枚舌」なのではないと思う。共存可能なものなのである。



4 「サヨク」または「ウヨク」の思想②――山口二郎


「ウヨク」の福田に登場してもらったので、今度は、「サヨク」の山口二郎に登場してもらおう。

山口は、ある講演(山口二郎「岐路に立つ戦後日本」山口編『政治を語る言葉、2008年7月、七つ森書館)の中で、60年安保以降、本格的な「戦後レジーム」が完成したのであり、その「戦後レジーム」は、「内における経済的な繁栄と平等、外におけるそれなりの平和国家路線、この二つの柱をもっていた」と述べている。その上で山口は、この「戦後レジーム」を継承すべきであると主張し、「平和国家路線における解釈改憲は護憲である」としている。

そして、この講演の中で山口は、以下のようにも述べている。


「戦後日本は基本的には、平和と豊かさを達成し、かなり平等な社会を築いたという意味では成功したという評価があるわけです。そのなかでもちろん、そのような平和や豊かさは日本人だけで、そこからはじかれたマイノリティー、少数派がいたという問題があります。」(同書、58頁)                 

あまり物事がわかっていない人からすれば、この発言は、「良心的」に見えるだろう(山口も、自分でそう思っていると思う)。現に、同書には別の講演者として辛淑玉が登場しており、辛は司会の山口にエールを送っている(注2)

だがこれは、誇張抜きに、恐るべき発言である。その意味が分からなければ、例えば、山口とは反対に、「日本社会には「在日」に対する差別なんてない」と言い張るネット右翼の例を考えてみればよい。こうしたネット右翼にとっては、日本社会の健全さを示す上で、在日朝鮮人に対する差別が存在している、ということであってはならないのである。その意味では、このネット右翼の場合、在日朝鮮人は、それなりの大きさがあるものとして捉えられているのであって、在日朝鮮人の処遇が、日本社会全体への評価を左右し得るものと見なされている

ところが、山口の場合は、このネット右翼とは逆で、日本社会の健全さを示す上で在日朝鮮人への差別があるかないかは関係ないのである。つまり、山口においては、上のネット右翼とは異なり、在日朝鮮人の存在の大きさが極小化されているのだ。在日朝鮮人の処遇は、日本社会全体への評価とは基本的に無関係なのである。

山口は、「マイノリティー、少数派」について言及するだけマシではないか、という人もいるだろう。マシではないのである。例えば、ネット右翼ではない保守派が、戦後社会を肯定する際に、在日朝鮮人に言及しないということは大いにあり得るだろう。だがそれは大抵の場合、在日朝鮮人の処遇が、戦後社会の肯定という目的にとって都合が悪いからこそ、言及されないのである。山口の場合、都合が悪いという認識すら欠けているのである。それだけ、在日朝鮮人の存在の大きさが、山口にとっては極端に小さいのだ。だから、山口が、朝鮮総連弾圧の扇動者である佐藤優と極めて密接な関係にあるのは、不思議なことではないのである。

「ウヨク」の福田と「サヨク」の山口は、「平和」と「平等」の戦後社会を肯定しながら、同時に、排外主義とも親和的なのである。



5  「戦後社会」の擁護


もうお分かりだと思うが、私が、日本の右傾化を支持している中心的な層として考えているのは、こうした、戦後日本社会を「平和国家」および「平等社会」としての一つの達成として擁護する、「ウヨク」または「サヨク」である(従来型の右派勢力を軽視しているわけではない。これについては後述する)。特にマスコミ関係者はほとんど全員これだ、と私は思っている。もちろん、日本政府は一貫してこの立場であり、外務省官僚たる佐藤優も、このラインからは基本的に外れていない。自らが「ソーシャルなウヨク」であることを否定しないであろう、厚生労働省官僚の濱口桂一郎が、『世界』その他の左派系メディアで活躍したり「連合」と関係を持っていたりすることも、なかなか示唆的である。

こうした戦後社会を擁護する「ウヨク」または「サヨク」の支持を中心とした右傾化は、特に安部政権崩壊以後、顕著になっていると思う。

安部政権は、周知のように、「戦後レジームからの脱却」を唱えた。こうした安部の主張や、「小泉・安部政権の新自由主義」に対して、左派は、「戦後社会の肯定」という形で対抗した(これが<佐藤優現象>の基盤である)。そこにおいては、そうした大義名分の影で、「戦後社会」を肯定したいという欲望がだだ漏れしている、ということは、既に指摘した。大雑把に言えば、左派において対抗戦略上、「戦後社会」の肯定が解禁されたことで、「戦後社会」の肯定に歯止めがかからなくなり、そうした「戦後社会」の肯定は、左派のイデオロギーの「国益」論的再編に当然ながら帰結した、と私は思う。

また、右派においては、安部政権を支持しなければならない手前、従来は「戦後レジーム」に否定的だった論者の一部が、安部政権の「現実主義」外交を支持せざるを得なくなり、「戦後レジーム」に取り込まれてしまったのだと思う。これが、小林を、右派知識人たちの変節として激怒させた事態である。「戦後レジームからの脱却」という虚像の下で、左派と右派のかなりの部分と、「現実主義」外交を進めざるを得なかった当の安部政権が、「戦後レジーム」に取り込まれたのである。

こうした流れは、安部政権とのカラーの違いを出さざるを得ない福田政権下で、さらに進んだと思う。安部政権下あたりから大手紙でも取り上げられるようになった「格差社会論」も、「戦後社会」の擁護に帰結したから、こうした動きをますます強めただろう。

念のために言うが、大多数の左派にも右派にも、少し前までは、戦後社会の肯定はそれほど大っぴらに語られるものではなかったのである。ところが、反対者だった人々が、わずかの期間で、推進者に変わったのだ。要するに、左右の大多数の知識人やマスコミ人は、「戦後」への批判すなわち、押し付け憲法論も沖縄への米軍基地の集中への批判も被害者中心主義史観批判も東京裁判史観批判もアメリカナイゼーション批判も消費社会文化批判も、本気では信じていなかったのである。安部政権以降の言説および政治状況は、左右の知識人やマスコミ人を、戦後批判(というタテマエ)の呪縛から解放した、と言えると思う。

この「戦後レジームの擁護」という枠組みは、左右のかつての反対者すらその擁護者として組み込んでいる。自民党も民主党も、この「戦後レジームの擁護」の枠組みの下でしか物を語れなくなっているはずである。自民党は、「戦後社会」の政権政党としての実績を売り物にして、民主党の統治能力が欠如していると叩いており、民主党は、自民党政治が「戦後社会」の安定性を崩したと批判しているのである。この枠組みにおいては、「改憲」か「護憲」かは、大した問題ではないのだ。「ウヨク」も「サヨク」も、「日本国憲法の精神」を尊重し、「平和国家」として日本を位置づけるという点では一致しており、「豊かな社会」(国民の間での「平等」性を担保し得る富を持った社会)を維持していくためには、対テロ戦争への協力は不可欠という認識でも本音では一致しているのだから。

現在の日本の右傾化の基盤は、こうした「戦後レジーム」または「戦後社会」の擁護という認識によって支えられている。もちろんこれは、一つの開き直りであり、かつて左右が「生活保守主義」とか「「金、物欲、私益」優先主義」とか、さんざん批判した大衆像そのものである。実際にはそうではないと思うのだが、「ウヨク」または「サヨク」は、大衆は「戦後社会」を丸ごと肯定していると決め付けている(吉本隆明のようだ)から、自分たちは大衆的基盤に依拠するようになった、と自信を持っていることだろう。だからこれは1930年代の日本の左翼知識人たちの「転向」過程と似ているのである。



6 左派が右派勢力を封じ込める?①――山口二郎


厄介かつ重要なことは、この「戦後レジームの擁護」という価値観においては、自分たちが右傾化の推進者であるなどとは、恐らく誰も露ほども考えていない、ということである。「ウヨク」や「サヨク」は自分たちは「平和国家」の担い手だと考えているだろうし、右派勢力の中のより右の層は、自らが勢力後退しているとして切歯扼腕しているだろう。そして、特に左派である「サヨク」は、自分たちこそが、小林や田母神のような右派勢力と戦って日本の右傾化を阻止しているのだ、とすら考えているだろう。

ただし、こうした「ウヨク」または「サヨク」は、「大東亜戦争」を擁護するような右派勢力を切り捨てるわけではない。むしろ、左派は、そうした右派勢力を封じ込めるという名目で、それを部分的に取り込む、あるいは妥協することを志向する

例えば、山口二郎は前述の本(山口二郎編『政治を語る言葉、2008年7月、七つ森書館)で、以下のように述べている。加藤典洋の『敗戦後論』の劣化コピー(原本自体がまがいものだが)であり、長い引用で恐縮だが、少し丁寧に見てみよう。


A 「日本は戦争責任について十分な総括ができていないという話は、何十年も繰り返されてきた。小泉純一郎が首相のときには、靖国神社に参拝し、大きな外交問題にもなった。日本は常に正しいと主張する観念的な右翼は論外としても、普通の人々の間にも首相の靖国参拝を支持する声が結構あることを、私たちは直視しなければならないと思う。

もちろん私は、戦後啓蒙知識人の末端に連なるという自己規定をもって今まで政治学を研究し、発言してきた。しかし、戦後啓蒙の社会科学者は、戦後日本の来歴、成り立ちについて、普通の人々にわかるような言葉と論理構成で、説明できていなかったのではないかという不満がわだかまっているのである。

私のとらえ方を単純な図式にすれば、次のようになる。

1 満州事変以後のアジア太平洋戦争は、他国との関係においては日本の侵略であり、誤った戦争であった。

2 戦争に敗北し、戦前の国家体制が瓦解したことによって、民主主義体制が生まれた。その意味で、戦後民主主義は戦争の犠牲者のうえに成立している。

3 戦後民主主義を守り、育て、国民自身が国の運営の主人公となり、再び誤った路線に進まないようにすることこそ、戦争犠牲者に報いる道である。

このような枠組みは、きわめて常識的なものであり、少なくとも認識のうえでは、多くの人々と共有可能であると私は考えている。しかし、とくに2の論点については、認識だけではなく、犠牲者の死をいかに意味づけ、弔うかという感情の問題が入ってくることは避けられない。この点について、敗戦を解放と言祝ぐ側にも、犠牲者に対する一定の敬意や悲しみの共有が必要だと思う。」(32頁)


B 「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れることと、戦争によって犠牲になった人々を悼むことをどのように聞連づけるかは、なかなか難しい作業です。家族、親しい人を戦争で失った人たちは、侵略戦争に加担して犠牲になったとは思いたくない。もっと崇高な意味づけをしたいという欲求をもつ。それはそれで自然なことなんだろうと思います。この戦争による犠牲者をどのように悼むかという作業を、戦後民主主義を擁護する側が必ずしも十分的確に行ってこなかったという不満が、私にはあります。靖国神社とはもっと違った形で、多くの日本人がこぞって、違和感なく、死者を悼む機会、場所があれば、戦後日本の政治はもっと違った展開になったかもしれないという思いがあるわけです。」(49頁)


山口は何を言おうとしているのだろうか。

まず注目すべきは、Aにおいて、なぜこんなに山口は慎重なもの言いをしているのか、ということである。なにゆえに、「戦後啓蒙知識人の末端に連なるという自己規定」、「きわめて常識的なもの」といった、自己防御の言葉をはりめぐらせているのか。

Aの1~3を見て気づくのは、山口は、1で、「侵略」と明言しておきながら(ただし、朝鮮・台湾の植民地支配、「満州事変」以前の中国への軍事侵攻は視野に入っていない)、「侵略」を意識しているようには思えない点である。「侵略」ならば、被害者としてまず考慮されるべきは、中国で殺された中国人たちである。だが、山口がここで挙げている「戦争犠牲者」は、文脈上明らかに、中国人ではなく日本人(兵士)である。

山口は恐らく、だいたいこういうことを言いたいのだと思われる。首相の靖国参拝を支持する人々を取り込まないと、左派(「サヨク」)は勝てない。だから、日本人の「戦争犠牲者」(兵士)に対して、犬死ではなく、何らかの「崇高な意味づけ」が必要だ。「東亜解放」のために死んだとも言えないから、「戦後日本」の繁栄のために彼らは死んだ、ということにしよう。そのためには、15年戦争については、対外的には「国益」上、仕方がないとしても、少なくとも日本国内では侵略戦争だと見なすのはやめよう。加害の事実を強調(指摘)するのはやめて、(兵士であったとしても)被害者であることの悲劇性を強調すべきだ、と。

そのことを示唆するのは、Aの1における「他国との関係においては」なる意味不明な一節である。Aの1で、山口は恐らく、「他国との関係においては」侵略戦争だと見なされても仕方がないが、日本国内においては、そう見なすべきではない、と言いたいのではないか。ABの引用文全体から考えれば、そう解釈するのが妥当だと思う。

かくして、山口は以下のように述べる。


C 「彼(注・中野重治)は左翼の人ではありましたが、日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではないんですね。戦争で倒れた、戦争で苦しんだ普通の人々に対して限りない共感と愛着を持っていた、戦争で倒れた人々とともに戦後民主主義を何とかつくりだしていこう、庶民の感覚に根を下ろした民主主義をつくりだしたいという問題意識を彼はもっていたと、私は理解しています。」(50頁。強調は引用者)


私はこの一節を読んで、驚いてしまった。「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識は、「薄っぺらな歴史観」なんだそうだ。なぜ山口が「左派」ということになっているのだろう?まあ「サヨク」だから仕方がないが。

それはさておき、山口はBで、「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れることと、戦争によって犠牲になった人々を悼むことをどのように聞連づけるかは、なかなか難しい作業」だとしているが、このCにおいては、山口自らが、「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れること」を拒否しているわけである。

ここまで見れば、山口がAで、何に警戒していたかが分かるだろう。日本人が、15年戦争を日本の侵略戦争と見なし、日本に侵略されたアジア諸国の民衆と同じように、日本の「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れること」、そのような歴史観をこそ、山口は警戒しているのである。なぜならば、山口が15年戦争について定見を持っていないというのもあろうが、そのような歴史観があれば、日本の左派が右派勢力と妥協することができないからだ。



7 左派が右派勢力を封じ込める?②――和田春樹


左派による右派勢力の封じ込め、または妥協のもう一例として、和田春樹のケースを取り上げよう。

和田春樹は、周知のように、「国民基金」の主導者であるが、これがこうした妥協策の典型であることは詳述するまでもあるまい(本人も認めている)。ここではもう一つ、和田と佐藤優との提携について考えたい。

和田と佐藤の提携については、既に何度も書いてきたが、これほど珍妙な組み合わせも珍しいだろう。和田と佐藤は、日本政府の対北朝鮮外交や朝鮮総連への処遇についてほとんど180度逆のことを言ってきたのであるから。

この提携の理由はいろいろあろうが(注3)、最も大きな点は、まさに両者が180度逆のことを言っているからだと思われる。

佐藤は、下の文章で、和田と、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博を持ち上げている。
http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200806110006o.nwc

荒木は、拉致被害者救出のためには、自衛隊の出動が必要であると主張している人物であり、拉致被害者救出運動の中では最右派の立場にあると言ってよいだろう。
http://araki.way-nifty.com/araki/2008/02/post_989d.html

検索すればいろいろ出てくるが、佐藤は、この荒木と交流している。荒木のような極右とつきあう佐藤と、「良心的知識人」の和田が付き合うのはやはり奇妙に見えるだろう。では、なぜ付き合うのか?その鍵となるのが、下の佐藤の文章であると思われる。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/236475/

ここで佐藤は、今年3月の北朝鮮のロケット発射に対して、以下のように述べている。


「「平壌宣言」を無視するというのは、北朝鮮が日本国家と日本国民をナメているということだ。こういう状況で、自民党、民主党は国家的見地から団結して、毅然(きぜん)たる姿勢で北朝鮮の暴挙を弾劾しなくてはならなのだが、それができていない。

 この機会に「平壌宣言」に反する長距離弾道ミサイルの発射などということをすると、どれだけ面倒になるかということを北朝鮮に教えなくてはならない。」


佐藤の語調は勇ましい。荒木からすれば、佐藤は対北朝鮮強硬論の「同志」に映っているだろう。荒木の場合、「救う会」とのいざこざがあるから、佐藤の人気と、外務省官僚という地位や要人との人脈に頼らざるを得ない構図になっているように思われる。

そして、ここにこそ和田が佐藤と提携する理由がある、と私は思う。事態を和田から眺めてみよう。荒木が佐藤と提携することによって、荒木のような最右派の対北朝鮮強硬論は、外務省のライン、すなわち、和田が支持する平壌宣言のラインに回収される(と和田には映る)ようになるのである。

現に荒木は、上で佐藤が持ち上げている文章(荒木和博「拉致救出活動は政府と一体化すべきではない」『諸君』2008年7月号)の結論部分で、拉致被害者救出には「自衛隊が様々な形で重要な役割を果たすことは必要不可欠であり、すべては政治の決断にかかっている」としながらも、以下のように述べている(強調、下線、斜体は引用者)。


「第一次小泉訪朝以前のように「北朝鮮は拉致をしていない」という勢力が存在していたときと異なり、拉致問題について一定の世論形成ができている現在、拉致被害者を救出すべきという点においては左右を問わず大きな違いはない。強硬に取り返すか、あるいは話し合いで、国交正常化を通じて取り返すかだけの違いである。今「拉致はなかった」とか「拉致被害者は北朝鮮で死んでいくべきだ」などという人間はいないのであって、本音はともかく基本的には方法論の違いの範囲であると言える。
 
 したがって、現在望ましいのは運動の無理な一体化ではなく、多様性をフルに活かすことである。中央集権的な指示によるのではなく、最終的な方向に向かってそれぞれが活動しながら、可能な範囲で横の連携をとり、必要であれば共同行動を呼びかけていくことが望ましい。小泉訪朝のときも、一方に拉致を許さないという世論があり、もう一方で国交正常化を目指した小泉総理・福田官房長官・田中均アジア大洋州局長のラインがあったから結果的にではあるが北朝鮮を欺き拉致を認めさせ五人を取り返すことができた。

 もちろん前述した「宣告」など許せない面は様々あるのだが、国交正常化への動きがなければ北朝鮮は今も拉致を認めていなかったかもしれない。国民が拉致問題の本質をより理解し、その解決が自らの安全を守ることだと認識していればできるだけ様々な方法でアプローチすることにより画一的、硬直化した北朝鮮の体制にくさびを打ち込み拉致被害者救出を実現することができるはずだ。今は自由主義社会の優位性を徹底的に活用するときである。私自身それに向かって行動していくつもりだ。」


この引用箇所の太字部分は、一目瞭然であろうが、荒木が平壌宣言のラインに立ったこと(少なくともそれを容認していること)を示している。興味深いのは、こうした言明と同時に、「本音はともかく」「結果的にではあるが」「かもしれない」などと、留保的な表現も発せられていることである(下線+斜体の部分)。もっと言うと、この下線+斜体の部分こそが、太字部分で示されている平壌宣言のラインの容認の表明が、荒木にとって大きな決断であったことを示しているのである。

和田からすれば、これによって、自身の悲願の日朝国交正常化における、最大の足かせの一つである、「右バネ」のうちの大きな部分を回収できた、ということになるだろう。この「右バネ」の影響力の大きさについては、佐藤が証言している。


「日本の外務官僚には「右バネ」に対する過剰な恐れがある。右翼的潮流に迎合するか、逃げ回るかのいずれかである。外務官僚に右翼の人々と誠実に話をするという腹が欠けているからだ。外務官僚が表面上、勇ましいことを言っているときは、右翼対策であることが多い。 」
http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200809240009o.nwc


私から見れば、「ロシアのスパイ」などと糾弾されてきた佐藤こそが「右翼対策」として、右翼になっているように見えるのだが(もちろんそれが「本気」か「演技」か、「ネタ」か「ベタ」かはどうでもよい)、それはさておき、和田からすれば、佐藤は、右翼に送られたトロイの木馬と映っているのではないか。多分、佐藤も和田にそう思わせているのだと思う。

だが、事態を今度は荒木から眺めてみよう。

和田が佐藤と付き合っているということは、和田は、対北朝鮮外交に関しては、外務省のラインを支持するということである。佐藤は外務省のラインから基本的に出ていないから。そして、和田は、「共同提言 対北政策の転換を」(『世界』2008年7月号。ほぼ間違いなく、中心的な執筆者は和田であろう)において、拉致被害者への「補償」の必要性を謳う一方で、植民地支配の被害者へは、「個別的措置」の実施が必要だと述べている。「個人補償」ではないのである。

だから、荒木からすれば、上記の引用箇所でも示唆されているが、和田ら左派は、佐藤との付き合いを通じて、日朝交渉に関して、恐らく荒木らにとっては最大の懸念事項の植民地支配の清算の問題は曖昧にし、「拉致問題」を最重要課題とするようになった、と映っているだろう(佐藤の影響は多分ないが、この共同提言の性格は、このようなものである)。<佐藤優現象>という右傾化現象に慣らされることで、「左翼」が「反日」を捨てて「サヨク」になったのだ、と。

荒木からすれば、これは大きな勝利であろう。それは、植民地支配に起因する、北朝鮮へのなけなしの日本世論の躊躇を弱めることを意味するから、拉致被害者救出の主張を日本政府がより強硬に北朝鮮政府にぶつけられるようになること、将来の軍事介入へのハードルを下げること(言うまでもないが、国交正常化したとしても、軍事介入は起こりうる)を、荒木にとっては意味するだろうからである。

したがって、荒木からすれば、佐藤は、左派に送られたトロイの木馬と映っていると思われる。佐藤は、右翼の集会では、「右が左を包み込む」と言っているらしいので、似たようなことは、荒木にも言っているだろう。



8 戦後日本国家の二つの性格


では、結局、ここでの勝者は誰なのか?和田か荒木か?和田・佐藤か荒木・佐藤か?和田・佐藤・荒木か?

少なくとも一つだけ言えるのは、佐藤が負けていないということである。逆に言うと、外務省=日本政府の意志は貫徹されているのである(念のために言っておくが、私は佐藤が日本政府の意を受けているなどと言っているのではない。外務省の見解を保持している人物の行動が、このように機能している、と言っているのである)。

和田は、荒木のような極右を包含したつもりになっていると思われる。和田からすれば、外務省は、「平和国家」日本だ。だから、和田と外務省の「平和国家」連合軍は、極右を封じ込め、毒抜きしたことになるわけである。だが、外務省=「平和国家」日本は、同時に、大日本帝国と何ら断絶しておらず、植民地支配の法的責任、戦後補償を一貫して否定している国家である。したがって、客観的に見れば、和田こそが、荒木と外務省の右派勢力連合によって包含された、とも言えるわけである。もちろんこうした事態は、和田だけではなく、民主党の応援団の山口二郎をはじめ、その他の左派知識人にも当てはまる。

植民地支配に関する日本国家の公式見解は、反省する必要があるが、反省する必要はない、というものである。文言上は「お詫び」するが、法的責任は負わない、補償は行わない、という立場なのだから。右派勢力の中の復古的な人々と同様の見解もまた、日本国家の公式の一つの顔なのである。

日本国家は、「平和国家」という顔と、過去清算抜きの大日本帝国の継承者たる顔という、二つの性格を持っている。この二つは矛盾せず、共存している(注4)。この二つの性格があるからこそ、「平和国家」という表象を伴った右傾化が進行するのである。

この辺はややこしいのだが、本論の中では核心的な点である。「平和国家」という顔と、「過去清算抜きの大日本帝国の継承者」という顔は対立するものではないというのは、もっと言えば、前者は、日本国家が後者のような性格を持つからこそ生じている表象だ、ということである。戦後の日本国家が、後者のような性格を払拭し得ていたならば、前者のような欺瞞的な「平和国家」という表象は現れなかったはずである。

比喩的に言えば、和田らは、戦後日本国家の顔について、右側を右翼で、左側を「憲法9条」で覆わせて、全体を指して「平和国家」の顔だ、と言っているわけであるが、これに対して、「平和国家」とまでは言わなくても、顔の右側を右翼で、左側を「平和国家」的性格(自衛隊は海外で人を殺していない、というような主張。山口二郎や和田や『金曜日』や「マガジン9条」までは行かない、護憲派のかなりの部分はこちらである)で覆わせる、というのも図式としては同じだ。もちろん、後者の方がまだマシではあるが、図式としては同じだから、これでは戦後日本を「平和国家」だと描く表象には対抗できないだろう。

こうした理解と異なり、日本の周辺アジア諸国の民衆からすれば、戦後日本国家の顔は、右翼が「平和国家」という小さいお面をかぶっているように見えるだろう(注5)戦後日本国家の二つの性格は、左右の関係ではなく、上下の関係である。「平和国家」という仮面で覆い尽くせない箇所が、復古的な右翼勢力として表象されている、ということである。

この件は、「国民基金」について考えれば、より分かりやすいかもしれない。「国民基金」については後述するが、韓国の民衆や挺対協が「国民基金」を拒絶した(している)のは、戦後日本国家の二つの性格を、上下の関係から捉えており、「国民基金」は単なる仮面に過ぎないと認識していたからである。それに対して、和田ら「国民基金」の推進者は、「国民基金」を、右の右翼と左の良心的な市民(和田ら)から成り立つ、戦後日本国家の「良心」を示す顔として表象していた(している)のである。

中国や韓国の民衆からの日本批判が、日本のリベラル・左派においても「反日」として表象されるようになっているのも、本質的にはこのズレに基因していると思う。首相の靖国参拝や、右翼的な歴史教科書の文科省による認可等は、中韓からすれば、戦後日本国家の、右翼的な顔という本質が顕現したものとして映っているだろう。もちろんこの含意は、日本国民に対して、右翼が仮面をつけているような構図そのものに対して批判的であること、構図そのものを変えることを呼びかける、ということである。

ところが、和田らからすれば、首相の靖国参拝や、右翼的な歴史教科書の文科省による認可といった事態は、戦後日本国家の左右の顔のあくまでも片方しか意味するものではなく、たとえ劣勢であったとしても、もう片方には(自分たちのような)「進歩的」もしくは「良心的」な勢力がいるわけなのだから、中韓による批判は一面的であって、日本国家を正しく認識していない、ということになるだろう。

したがって、和田らからすれば、戦後日本国家の二つの性格を上下の関係性として捉え、その構図自体を批判するあり方は、「日本」を丸ごと否定する「反日」として表象されることになる。そして、「反日」なのは、彼ら・彼女らの過剰な「ナショナリズム」、「民族主義」のせいだ、ということになる。もっと言えば、和田らのような「進歩的」ということになっているリベラル・左派が、中韓の主張を「反日」であると批判することによって、世論一般は、中韓の主張をまともに受けとめなくてよい(せいぜい「国益」論的に考慮するというレベルで)、と切り捨てることができるようになる。



9 戦後補償運動の日本国家への回収――「国民基金」を例として


戦後日本国家の二つの顔を上下の関係性として捉え、その構図自体を批判するあり方に対して、和田らは、「反日」だけではなく、「分裂」主義という名の下でも、切り捨てることを行なう。

和田らは、日本の「右翼」の力の大きさを強調して、自分たちへの左からの批判を「分裂」主義として非難するのである。これは、「<佐藤優現象>批判」でも指摘した、「人民戦線」の意義を強調して佐藤を重用することを正当化することにも似ている。

以下の和田の発言を見てみよう。

「日本で植民地支配への反省と謝罪の公式声明を求めて運動してきた人々のなかに、この基金構想(注・アジア女性基金構想)をめぐっても分裂が生じた。私は政府から求められて基金の呼びかけ人となった。私がその求めに応じた最大の動機は、国会決議(注・戦後五十周年国会決議)をめぐる右翼の結集の強さに心底脅威を感じたからである。(中略)

重要なことは、この人々(注・国民基金に批判的な人々)は右翼の結束、猛烈な巻き返しということを予想していなかったことである。結局、われわれとこの人々との分裂の結果は、右翼の攻撃を許すことになったと言わざるをえない。」(和田春樹「アジア女性基金問題と知識人の責任」小森陽一・崔元植・朴裕河・金哲編著『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』2008年11月、青弓社、141・143頁。強調は引用者、以下同じ)

「日本のなかの謝罪派の分裂、日韓の対立が日本の右翼の台頭を許した。」(同論文、146頁)

では「右翼」であることを誇っている佐藤優と付き合う和田は何なのか、と突っ込みたくなるが、それはさておき、和田からすれば、中韓による国民基金批判に同調する日本の左派は、利敵行為を働いていた(いる)ことになるわけである。

だが、ここで、アメリカの下院をはじめとする、各国の「慰安婦」決議について考えてみよう。これらの決議に対する日本政府のスタンスは、基本的に、「国民基金」による償い金で解決済みなのだから、決議は受け入れない、というものである。「<佐藤優現象>批判」で指摘したように、佐藤は、この立場を支持するだけではなく、アメリカの議会関係者に国民基金についてロビー活動をしなかったとして外務官僚を非難している(実際には、外務省は執拗にロビー活動をしていた)。

和田が各国の「慰安婦」決議に対して、どのような認識を持っているのかは管見の範囲では分からないが、論理的には、上の日本政府(または佐藤)の認識と同一か、極めて近いものになるはずである。

仮に和田が言うように、「慰安婦」問題に関する日本の市民運動や左派の主張が、中韓の「反日」に対して距離を置き、「分裂」を回避するために、「国民基金」でほぼ統一されていたならば、各国の決議を真摯に受け止め、被害者に対して日本政府の謝罪と補償を要求する運動や主張は、現在の日本では(ただでさえ少ないのに)ほぼ存在しなくなっていただろう。それこそ、「国民」規模で、決議に反発していたに違いない。

「国民基金」についてはいずれまた検討するが、自民党がこれを「成功」と位置づけ、党幹事長(2004年当時)が「非常に評価されるべき」、「これからのいろいろな問題を解決していく上で、非常に説得力のある一つの方式」とまで高く「評価」していることも、示唆的であろう。
http://www.awf.or.jp/pdf/k0005.pdf
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/enruete_fukuoka.pdf

このように、客観的に見れば、和田や「国民基金」の役回りは、「右翼の台頭」の危機を強調することを通じて、日本の過去清算への姿勢を批判していた人々を、中韓や諸外国からの対日批判と切り離し、日本政府の主張のラインに回収することにある。

周辺アジア諸国からの対日批判は、まさに和田らのような人々の貢献によって、「反日」として表象され、無効化されることになる。日本の「普通の国」化、右傾化への抑制力であった(はずの)ものが、その促進力に変わっているのである。

言い換えれば、日本の「普通の国」化、右傾化を抑制するはずであった、戦後日本国家の「過去清算抜きの大日本帝国の継承者たる顔」への批判が、逆に、戦後日本国家が「平和国家」であることを示す一つの証として位置づけられるようになった、ということである。

すなわち、これによって、戦後補償運動や諸言説を、日本国家は、自らへの本質的な批判者ではなく、批判的な擁護者として、回収することができるようになったのである。これは、「国民基金」だけではなく、このところの、「中国や韓国の「反日」とは距離を置くことを強調しないと、自分たちの主張は日本社会では受け入れられない」という、一部の戦後補償運動や言説に見られる傾向にも妥当する。

和田らによる「国民基金」の推進や、その後の振る舞いについて、和田らが転向した、という批判をよく見かける。こうした批判は必要であるが、ただ、そうした人々への倫理的な無責任さを批判するだけでは、あまり有効な批判にはならないと思う。むしろ私は、和田らにとって、そもそも「転向」自体が必要ではなかったのかもしれない、と考えている。和田らは、朝鮮への植民地支配への戦後日本国家の居直りを批判してきた、1980年代から、本質的には変わっていないのかもしれない。「国民基金」をめぐる対立というのは、本質的には、戦後日本国家の二つの顔の位置づけ方に関する相違である、と私は思う。

私は、何らかの右翼勢力の「黒幕」を想定して、それが、「平和国家」という表象や担い手を利用している、と言っているのではない。そうした流れも一定程度あるとは思うが、そうした陰謀論的な説明枠組みは必要ではないし、説明としても不十分である。そうではなくて、戦後日本国家を「平和国家」として位置づける「サヨク」の人々が、主観的には右翼勢力と対抗しているという構図とプロセスにおいて、事態はそのまま「右傾化」と表さざるを得ない形になっているのである。誰かが「右傾化」を画策している、ということは重要な問題ではない。

和田らが転向した、魂を売ったということだけで説明できるのであれば、話は簡単なのである。だが、事態が深刻なのは、和田らが少なくとも部分的には真摯に、主観的には右傾化に対して抵抗しようと努めるからこそ、より右傾化が進むという構図であるからのように思われる。



10 「日本人の誇り」論の変質


「8」で、私は、「日本の周辺アジア諸国の民衆からすれば、戦後日本国家の顔は、右翼が「平和国家」という小さいお面をかぶっているように見えるだろう」と述べたが、私自身の認識としては、「いつか日本は、仮面をはがして、本当の姿を晒すはずだ」と考えているわけではない。そもそもはがす必要自体がないのである。仮面と肉体が癒着して、そもそもそれが仮面であるか肉体であるかわからなくなっている、というのが現状だと思う。例えば、和田の以下の発言は、仮面なのか、肉体なのか。

「(注・日韓の)和解のためには、それぞれのナショナリズムを尊重し、二国間の連帯をつうじて、国際主義的なものを求めていくことが必要だ。相手が自らに誇りを持ちたいと願っているということを相互に尊重しなければならない。そのことは日本人が韓国に反省と謝罪を表明する場合でも必要である。」(和田、前掲論文、146頁。強調は引用者、以下同じ)

和田の論理からすれば、当然、「慰安婦」問題や植民地支配に対しても、日本人が「自らに誇りを持ちたいと願っているということ」が尊重された上で、その「誇り」を傷つけない範囲で、「反省と謝罪」が行われるべきだ、ということになろう。これは、戦後補償問題と日本人の「誇り」についての従来の言説からすれば、極めて奇妙な主張なのである

日本人の「誇り」との関係から戦後補償について語られる際には、日本人が「誇り」を回復するために、戦後補償を日本政府に果たさせなければならない、といったものが一般的だったはずである(こうした立場は、現在では、リベラルからも「反日」として切り捨てられる)。「<佐藤優現象>批判」で引用した安江良介のように、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」歴史の清算を行おうとする姿勢である。

「日本人としての誇り」、「正義」を回復するために、日本人として、過去清算を行うという立場である。多分、日本で、戦後補償運動に関わったり関心を持っていたりする市民の多くは、こうした認識を持っていた(いる)と思う。

前回も触れたが、和田が転向したかどうかを評価するのは難しい問題なのだが、下記の発言を見れば、少なくとも言説レベルでは一定の立場の移行があることは否定できないだろう。和田は、1989年時点では、安江らとの共著において、以下のように述べているのである。

「植民地を領有してきた国家は、その支配を終えるべく強いられた時には、当然ながら清算の手続きをおこなわなければなりません。植民地支配を植民地支配とみとめ、それによってもたらした苦痛にたいして謝罪し、必要な補償をおこない、反省を未来に生かすことを表明することが必要です。それをなさずにきた、あるいはそれをなしとげずにきた日本人は、道義的に恥ずべきものというべきです。

したがって日本が植民地支配の清算をおこなうのは、なによりも日本人の道義の問題なのです。そして日本が植民地支配の清算をおこなうのは、あくまでも全朝鮮民族にたいして、全朝鮮民族との和解をめざしておこなうのでなければなりません。それがなされれば、韓国の人びととの若いを求めることができるし、北朝鮮政府との公式的な交渉を申し出ることができるはずです。在日朝鮮人・韓国人と日本人の関係を抜本的に変える出発点もできるでしょう。」(和田春樹「植民地支配の清算を」朝鮮政策の改善を求める会『提言・日本の朝鮮政策』岩波ブックレット、1989年3月、19頁)

ここで和田が言う「道義」とは、上で引用した安江が言う、回復すべき「正義」とほぼ同じ意味であろう(注6)。一部のリベラル・左派は、こうした認識を「日本人の立ち上げ」などと批判するが、それは馬鹿げているのであって、周辺アジア諸国の対日批判と連帯できるのは、こうした認識以外にはない。

ところが、現在の和田の主張は、こうした認識とは真っ向から対立している。こうした認識が、おおむね、戦後の日本政府が大日本帝国と何ら断絶しておらず、植民地支配の法的責任、戦後補償を一貫して否定していることを前提としているのに対して、現在の和田の主張は、戦後の日本政府はそうした問題は基本的に解決済みであり、そこから漏れる被害者に対しては、国家責任が前提となる個人補償ではなく、償い金でよい、というものなのだから。

現在の和田においては、日本人としての「誇り」は、回復されるべきものではなく、所与として存在しており、「反省」や「謝罪」はそれを傷つけない範囲でしか行えない、と言っているわけである。そして、その範囲の決定権は当然、日本人が持つことになる。こんな身勝手な主張は、右派勢力と本質的にどう違うというのか。

右派勢力を包含した、あるいは毒抜きしたつもりでいて、左派は逆に、右派勢力に包含されたのだと私は思う。左派のかなりの部分は、「サヨク」または「ウヨク」と化すことで、右派勢力=日本国家に回収されたのである。だからこそ私は「1」で、日本の「進歩派勢力」が右派勢力に取り込まれたという認識(「1」の③)は、それほど間違っていないと言ったのである。



11 右傾化を進めるのは「サヨク」と極右の抗争プロセスである


長くなったが、やっと結論部分である。

日本の右傾化は、「5」でも述べたように、「戦後社会」を擁護する「ウヨク」または「サヨク」が中心的な支持層である。特に、メディア上で流される言説はこれに沿うものである。そして、日本国家もまた、この立場である。だが、そもそも保守派の「ウヨク」は、極右をも含む右派勢力の一部であり、日本国家の二つの性格からも明らかなように、この「ウヨク」的な立場は、復古的な極右とも親和的である。

まとめよう。日本国家は、過去清算抜きの大日本帝国の継承者である。その土台の上で、「ウヨク」または「サヨク」は、「平和国家」日本という仮面を、仮面と意識せずに、掲げているわけである。そしてのこの、「戦後レジーム」、「平和国家」日本を擁護する人々は、極右勢力と距離を置くか対抗しようとする。ところがその極右勢力は、まさに日本国家の土台の価値観と親和的である。ところが日本国家の建前は「平和国家」日本である。

このメビウスの輪のような循環における、「ウヨク」または「サヨク」と極右勢力の抗争のプロセスを通じて、従来はこの土台自体に批判的だった市民派や左派勢力、従来は政治的な問題に無関心だった大衆の一定層が、組み込まれていくことになる。

「ウヨク」または「サヨク」は、極右勢力との対抗という構図により、市民派や左派勢力を組み込むことができ、極右勢力は、マスコミが「サヨク」に占領されていることを強調して、マスコミへの侮蔑と敵意を持っている若年層を取り込むことができる。

また、「ウヨク」または「サヨク」対極右勢力、という構図とはズレるが、「戦後社会」の擁護あるいは(それとは逆の)「戦後の既得権の打破」といった主張は、「ウヨク」または「サヨク」と極右勢力の対抗構図を横断しながら、大衆を政治的領域に巻き込んでいくことになる。

ここで重要なのは、「6」の冒頭でも書いたように、自分たちが右傾化の推進者であるなどとは、恐らく誰も露ほども考えていない、ということである。確かに「ウヨク」または「サヨク」は、日本の右傾化を支持している中心的な層ではある。だが、正確に言えば、彼らが主体的に右傾化を進めているということではない。そうではなくて、この抗争プロセスを通して、従来の批判勢力が却って促進力になり、大衆的な基盤が広がる形で、右傾化は進行するのである。

だから、「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」という問いに対する答えとしては、「右傾化はしているし、今後ますます進むだろうが、特定の主体が進めているわけではない」ということになるだろう。右傾化が進んでいるのは、特定の主体の意図ではなく、むしろ抗争プロセスを通して、である。抗争が活発化しているがゆえに、従来は外にいた多くの人間を、上記のメビウスの輪のような構造に巻き込むことができ、それぞれからこの構造へのより強い帰属意識・参加意識を調達することができる

そして、周辺諸国からの「日本は右傾化している」という指摘に対しては、「ウヨク」も「サヨク」も極右勢力も、一致団結して、そうした認識は「反日感情」の然らしめるもの、とし、反発を強めることになるだろう。日本社会の建前は「ウヨク」または「サヨク」的であり、「ウヨク」または「サヨク」的な人々が社会の実権を握っているという点については、賛否は別にして、すべての主体は認識が一致しているからである。したがって、日本国内の支配的な認識と、周辺諸国の警戒のズレは、ますます大きくなっていくだろう。

私は「2」で、「日本においては、本音では「大東亜戦争」肯定史観を持ち、戦前の軍国主義勢力とも関わりの深いような右派勢力が非常に強大であり、安部政権崩壊後も、福田政権下でも、麻生政権下でも、こうした勢力が基本的に政治・社会を牛耳っている」という認識(「1」の④)が、右派勢力の中の復古的な人々の力についての過大評価であり過小評価でもある、と述べたが、それは、このような理由である。過大評価である理由は既に述べたが、「サヨク」は「平和国家」たる戦後日本国家を擁護することを通じて、客観的には過去清算抜きの大日本帝国の継承者をも擁護することになり、復古的な人々とも地続きになってしまうのだから、「敵」をあまりにも限定しており、過小評価であった、ともいえる。

静態的に言えば、「戦後社会」の擁護というイデオロギーが中軸に置かれることで、右派勢力が従来の左派の大部分を包含し、社会的基盤を拡大したと言える。したがって、今後、日本の右傾化はよりスムーズに進む、と思われる。



12  「東アジア唯一の平和国家」という表象の下での右傾化


「平和国家」という自己認識を持つ「ウヨク」または「サヨク」たちは、一致して、格差社会の惨状を嘆き、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチに涙し、北朝鮮の核実験に対して「唯一の被爆国」としての怒りを表明し、在特会のあからさまかつ行き過ぎた言動・行動に眉をひそめる。みんな、いい人たちで、「平和」を愛する人々なのだ。「一党独裁支配」の中国や北朝鮮、ナショナリズムが「過剰」で徴兵制のある韓国、軍事的緊張化に置かれている台湾など、周辺諸国は「平和」とはほど遠い状態だ、それに比べてわが日本は・・・と彼ら・彼女らは、「戦後日本」とこれからの日本に誇りと自信を持っていることだろう。

「11」で示したように、日本国家の右傾化は、こうした、日本が「東アジア唯一の平和国家」だという自己認識を持った人々による、日本国内の極右勢力との抗争プロセスを通じて、意図せざる形で、進むことになる。

東アジアの周辺諸国からすれば、これは、かつての自民党右派政権よりもはるかに厄介である。「中東唯一の民主国家」という自己認識を持ったイスラエルのような国が、イスラエルよりもはるかに強大な軍事力・経済力を持って、東アジアに誕生したことになるのだから。ただ、イスラエルほどは、軍事的要素が社会の前面に出てこないとともに、社会の民主化も進まないだろう。

また、仮に「東アジア共同体」といった形で、韓国や中国など周辺の中大国と集団的安全保障を結んだ場合は、より強い脅威を受ける対象が、周辺諸国ではなく、世界レベルに拡大される、というだけの話である。その場合、「対テロ戦争」がますます徹底的に遂行されることになる。

この右傾化の動きは、民主党政権または大連立政権下で、より強くなっていくだろう。

この状況下では、「護憲」も、日本の侵略責任・戦争責任の観点から捉える視点がない限り(そして、近年の「護憲」論は、ほとんどの場合、そうした視点はないのだが)、上記の抗争プロセスに回収されるだろう。そして、<佐藤優現象>や、「1」でも言及した、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後の右傾化においては、まさに、「護憲」論の上記の抗争プロセスへの回収が著しく進んだ、と言ってよいだろう。

もう少し言うと、もはやこの段階においては、「護憲」か「改憲」か自体は本質的な政治的争点ではなくなっている、ということである。もちろん私は、どっちでも同じだから改憲してもいいのではないか、と言っているのでは全くなく、改憲または安全保障基本法の制定が、右傾化の大きな前進であることは言うまでもない。だが、「戦後社会」を肯定する護憲論は、民主党の安全保障基本法には多分ほとんど抵抗できないだろうし、彼ら・彼女らの中では有力な代替案である「平和基本法」も、「<佐藤優現象>批判」で書いたように、論理としては安全保障基本法と大して変わらない。

むしろ、本質的な争点は、過去清算をろくに行なわず、また、当面は行なう見込みのない日本が、「普通の国」として軍事活動を行なうことへの、周辺アジア諸国の民衆からの抗議と警戒の声とどう連帯するか、ということになると思う。要するに、日本の右傾化を規制する実体のある勢力は、当面は外部しかないのであって、その外部とどう連帯するか、ということである。

無論、そうした抗議と警戒の声や、連帯しようという行為は、日本社会においては「反日」だと表象されるだろう。だが、「反日」という非難を意に介さず(もちろん「非難に抗して」でもよいが。念のために書いておくと、以前書いたように、文言としての「反日」を掲げるべき、ということではない)、「10」で言及したような、「正義」を回復するために、または(および)、日本国民の政治的責任を果たすために、過去清算を行うという立場で行かない限り、上記の抗争プロセスに回収されるだけだと思う。そうしたことを主張する人々や運動が、現在ではどれほど微力であっても、本質的な政治的争点はそこにしかない、と思う。



(注1)小林が「満州事変」以後の日本の侵略を擁護するのは、「国益」上やむを得なかった、ということではない。「国益」に反した行動を「アジア解放」の理念のためにわざわざとった当時の日本を擁護しているのである。


(注2)それにしても、今のリベラル・左派ジャーナリズムに登場する在日朝鮮人の言論人は、こんなのばかりである。同書には、佐藤優も講演者として登場しているから、リベラル・左派からすれば、佐藤と辛で「バランス」がとれているわけである。これら在日朝鮮人の言論人連中は、リベラル・左派の「国益」中心主義への変質に気づいているからこそ、その「国益」を享受する層から在日朝鮮人を落とさないでほしいとして、もう少し言うと、リベラル・左派のアリバイ役、たいこもちの役割を果たすという形で、尻尾を振っているわけである。「大東亜戦争」の旗を振った朝鮮人みたいなものだ。

彼ら・彼女らは、日本社会批判の役割を演じつつも、「自分たちの日本社会批判は、外国人によるものではなく、沖縄の人々の日本社会批判と同じように、日本人「同胞」によるものとして受け止めてほしい」と思っているはずである。そこでは日本社会批判が同化の一形式になっている。


(注3)和田からすれば、佐藤が自分を褒めれば「北朝鮮の手先」なるレッテルから脱却できるし、佐藤からすれば、和田が自分を褒めれば左派論壇で登場できるのである。私は、『世界』の岡本厚編集長から佐藤を使う理由の一つは「和田さんも付き合っているから」だと言われたことがある。


(注4)戦後日本国家の二つの性格は、和田においては、以下のような認識において矛盾なく共存しているようである。

「空襲と艦砲射撃のなかで、日本国民は車人たちが国外で進めた戦争の結果がいかに恐るべきものであるかを知った。日本車は無敵であると誇っていたが、銃後の国民の家庭さえ守ることができなかった。日本全土が焼け野原となった。東京でも一夜で八万四千人が死亡した。広島における原子爆弾の投下によっては即死した者を含め五ヵ月以内に約十五万人が死亡した。ここから国民の軍隊不信が生まれた。国民がいかに無知であったにせよ、この軍隊不信の感情は実質的であり、強烈であった。

 このおそるべき状態は八月十五日の天皇の玉音放送によって断ち切られた。米軍の空襲と艦砲射撃のもとで恐怖の日々をすごした国民の間には安堵の感情が広がり、それは天皇に対する一定の感謝の気持ちに進んだ。国民の反軍意識は天皇に対する感謝の意識と結びついた。この意識が戦後日本の平和主義の基礎をなしている。

 天皇はその放送のなかで「朕ハ(略)堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス」と述べたが、降伏文書調印の二日後の九月四日、帝国議会開会にさいして勅語を発し、「朕ハ終戦二伴フ幾多ノ艱苦ヲ克服シ、国体ノ精華ヲ発揮シテ、真義ヲ世界二布キ、平和国家ヲ確立シテ、人類ノ文化二寄与セムコトヲ翼ヒ、日夜軫念措カス」と述べ、「平和国家」という目標を提示した国民は「平和国家」というのは非武装の国家であるという解説に納得した。だから、天皇を国民統合の象徴とした新憲法の第一条を受け入れ、戦争放棄、戦力不保持の第九条を受け入れた。まさに自分たちの気分に合致した憲法であった。」(和田春樹「アジア女性基金問題と知識人の責任」小森陽一・崔元植・朴裕河・金哲編著『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』2008年11月、青弓社、136頁。強調は引用者)

最近一部で話題となっている、和田の天皇訪韓案(和田春樹「韓国併合100年と日本 何をなすべきか」『世界』2009年4月号)も、このような、戦後日本の「平和国家」は天皇制によって支えられている、という認識が前提にあると思われる。


(注5)無論、韓国や中国の知識層には、「東アジア共同体」(「東北アジア共同の家」)を推進するために、「和解」論を唱える人々も多いが、これは、仮面を、仮面であることは認識しながら受け入れる、ということである。多分、朴裕河のように、戦後日本を「平和国家」であると額面通り受け取ろうとする(させる)のは、「和解」を志向する人々の間でも少数派だと思う。


(注6)「国民基金」における「道義的責任」とは、日本政府が「法的責任」を負わないことが前提であるから、和田においては、同じ「道義」という言葉が、少なくとも「国民基金」以降は、180度逆の性格のものに変質しているのである。
  • 2009.08.10 00:00 
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