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韓国のインターネット新聞「プレシアン」での「<佐藤優現象>批判」紹介記事(権赫泰氏) 

<管理人注>
韓国のインターネット新聞「プレシアン」(ちなみに、岩波新書の『北朝鮮は、いま』は、ここでの連載をまとめたものである)に、私の論文と、その後の経緯等に関する記事が掲載された。著者は、権赫泰(コン ヒョクテ)氏である。権赫泰氏は、現在、聖公会大学日本学科教授であり、日本でも、しばしば『世界』『現代思想』などに、啓発的な論文・エッセイを執筆している。

その記事の全訳を下に掲載する。なお、掲載と訳文に関しては、権氏の確認を得ている。

「プレシアン」のような、(特に韓国のリベラル・左派への)影響力のあるメディアに取り上げられたことの意義は大きい。記事内容も、非常に的確なものである。逆に言えば、こうしたことを言えない日本のメディア・知識人とは一体何なのか、ということでもある。<佐藤優現象>に乗っかる護憲派メディアに遠慮しているのであろうが、それこそ、「在日朝鮮人に対する日本社会の非理性的な攻撃については、あえて目をつぶる」という、権氏が見事に要約してくださった、私の論文の指摘を反復している。
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日本の進歩に問う 権赫泰の日本を読む(1)

〈佐藤優現象〉と金光翔
――日本の進歩派に対する金光翔の問い

『プレシアン』2008年2月27日
http://www.pressian.com/scripts/section/article.asp?article_num=40080226115432&s_menu=%EC%84%B8%EA%B3%84



 日本を代表する出版社に岩波書店というところがある。少し前に韓国を訪問したこの出版社の前社長を指して、韓国のメディアが「日本を代表する知性である岩波書店」の代表と紹介したことから見て、この出版社は日本だけでなく韓国社会でも日本を代表する「知性」と認められているようだ。

 私もこの出版社が発行する雑誌『世界』を愛読しており、それだけでなく時には筆者として文章を寄稿することもあるので、因縁が深いといえる。『世界』は「世界文化人」という言葉があるほどで、まさに戦後日本社会の進歩/リベラル派の知識の「蔵(くら)」であった。1970~80年代には「韓国からの通信」という韓国民主化問題に関する連載のために、韓国政府から「反韓雑誌/反韓出版社」という「名誉ある称号」を与えられたこともある。筆者も1970~80年代に苦労して手にした『世界』を、練達とはいえない日本語能力ではあったが、辞書をひきつつ一つ一つ読んでいた記憶がある。

 また、岩波文庫や岩波新書などの伝統あるシリーズは、日本の近現代を貫く知性界の「蔵」を重厚なものにしてきた。知性的で進歩的で革新的であることを意味する「岩波文化」という言葉が生れるゆえんである。主に大衆書中心の出版社として名高い講談社と対比される理由もここにある。岩波書店は日本の進歩/リベラルの「蔵」なのである。

 しかしこの出版社で、進歩・知性・革新という出版社のイメージに真っ向から対立するとしか思えない出来事が起こった。この出版社で働く在日朝鮮人青年が会社から、そして会社の労働組合から圧迫を受けているのである。経緯はこうだ。

 岩波書店社員でもある金光翔という韓国国籍の在日朝鮮人三世が、『インパクション』という他の出版社から出ている隔月の雑誌に、最近の日本の社会現象を批判する論文(「〈佐藤優現象〉批判」2007年、160号)を書いた。ベストセラー作家として知られる右派評論家・佐藤優という人物が、『世界』や『週刊金曜日』のようないわゆる進歩・リベラル派の雑誌の常連筆者になっていることを事例として、日本の進歩・リベラル陣営の右傾化現象を問題にしたのだ。

 ところが、この論文に対し右派週刊誌である『週刊新潮』が「佐藤優批判論文の筆者は岩波社員であった」という煽情的なタイトルで悪意に満ちた記事を書き、このために問題が大きくなり始めた。岩波では金光翔に対し圧力を加え始め、よりひどいことにこの圧力に対して抗議をしてしかるべき位置にある岩波書店労働組合が、むしろ金光翔に対するいじめを始めたのである。

 一体何があったのだろうか?そして佐藤優の意図は何であり、彼になぜ進歩・リベラル派の雑誌が競って常連筆者として書かせているのか?そして金光翔はこうした現象をどのようなものと診断しているのか?

2.

「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。国家が自衛権を持つことは当然のことであり、抑止力をどうすれば高められるかが重要だ。憲法を改正しなくても集団的自衛権に対する内閣法制局の解釈を変えればよい。そして周辺事態法が定めている周辺事態に台湾海峡を含ませ、『非核三原則』を緩和し、朝鮮半島有事には核兵器搬入を認めればよいのである」

「日本人拉致問題の解決無しに日朝交渉はありえない。よって北朝鮮に対しても戦争もありうるというカードを示したほうがいい。「敵(北朝鮮)が嫌がることをあえてすること」が情報戦の定石であり、在日朝鮮人とその団体に対する弾圧は、拉致問題解決のための環境を整えるのに助けになる。北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」

「米国議会で推進されている慰安婦決議は事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。米国下院などが何を言っても日本が謝罪する必要はない。中国や韓国が何を言っても靖国神社参拝を小泉総理がやめなかったようにすればいい」

「『大東亜共栄圏』は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。中国の蒋介石政権は米国とイギリスの傀儡政権であり、汪兆銘政権は決して日本の傀儡政権ではなかった」

 核兵器搬入の許容、北朝鮮戦争肯定論、米国議会の慰安婦決議の黙殺、大東亜共栄圏に対する賛美、あたかも右派政治家の板についた発言を聞いているようだが、実際には現在の日本を代表する論客でありベストセラー作家として知られる佐藤優という元外交官の主張を、金光翔氏の論文から抜粋・要約したものだ。

 佐藤優の経歴は若干特異である。1960年生まれの佐藤優は同志社大学神学部を卒業し、同大学で神学の修士学位を取得、1988年から外務省でロシア外交を担当した外交官だ。彼は2002年に背任容疑で逮捕され、保釈後、現在のような旺盛な執筆活動を展開した。こうした経歴のためか、自身の背任事件を告白した『国家の罠』は空前のヒットを記録し、その後約五年間で二十冊以上の著書を書いた。

 金光翔はもちろん彼が特異な経歴を持っており、また最近の日本社会で最も人気のある評論家であるという理由で彼に注目するのではない。上で言及したような歴史認識や情勢判断などは別段新しいものではない。代表的な右派雑誌である『正論』や『諸君』などで容易に見つけられる論理だ。よって「ありきたりの論理にありきたりの根拠」をくり返す彼の主張を一つ一つ取上げてその是非を分かつことは、この論文の目的にはならない。

 問題は佐藤優という人物の考えにあるのではなく、このような明らかな右翼・国家主義者の主張をいわゆる進歩・リベラル派に分類されるジャーナリズムが黙認しているのみならず、これら進歩派雑誌が競って佐藤優を常連筆者として登場させているという現象にある。これを金光翔は「佐藤優現象」と呼ぶ。進歩派ジャーナリズムが右派評論家を常連筆者として登場させる現象こそが、日本の右傾化の現住所をはっきりと示しているといえるのである。

3.

 こうした現象に対し、金光翔は明快に診断する。以下、改憲をめぐる動きを中心に見てみよう。

 日本で最近改憲が現実化する可能性が他のどの時期よりも大きいということは、よく知られた事実である。加えて代表的な護憲勢力である共産党と旧社会党(現社民党)は、護憲を担保できる議席を全く持っていない少数政党に転落している状態である。

 これに対する護憲派の戦略は、既存の護憲層だけでなくより幅広い「国民」層を護憲勢力へと包摂しようとするものだ。この過程で北朝鮮と在日朝鮮人に対する日本社会の非理性的な攻撃については、あえて目をつぶるか、あるいは佐藤のような対北戦争肯定派までも包摂しようとする。また1990年代以降の民主化により、韓国、中国で巻き起こり始めた過去事問題を、韓国、中国の「反日ナショナリズム」であると貶め、「加害」よりも「被害」の側面を強調する。

 言い換えれば護憲派の戦略とは、改憲後(明文改憲だけでなく解釈改憲も含む)の国家体制に適合する形態で生き残るためのリベラル左派の「集団的転向」だということだ。最近日本社会で頻発している在日朝鮮人に対する弾圧(これについては鄭栄桓「反動の時代――2000年代在日朝鮮人弾圧の歴史的位相」『黄海文化』55号、2007年冬参照)と、北朝鮮への非理性的な攻撃に対し、日本の進歩・リベラル派勢力がなぜ口を閉ざしているのか、そしてこうした「黙殺」が国家体制の志向とどのような関連を持っているのかについて、金光翔は答えているのである。

 問題はこうしたリベラル左派の「転向」をどうみるかだ。1990年代まで日本のリベラル左派は、過去事問題に対しある程度「転向的」な態度を取ってきた。韓国、中国などのアジア諸国に対し「謝罪」と「補償」をすることにより歴史問題にけりをつけ、経済大国にみあった政治大国となる路線を想定してきた。しかし形式的な謝罪と補償の構想は、「慰安婦」問題に対する国民基金問題によくあらわれているように、韓国などのアジアの民衆の抵抗により挫折することになる。この挫折に対する焦りが、アジアの民衆らの抵抗を「反日ナショナリズム」と貶める背景として作動することになるのだ。

 しかしこうしたリベラル左派の「転向」は「転向」ではない。リベラル左派により導かれてきた日本の戦後民主主義に、そもそも植民地主義に対する問題意識 がほとんど無かったことに起因しているのである。言い換えれば日本の戦後民主主義は胎生的に植民地主義を内に抱えながら生まれてきたのである。東京大学教授である高橋哲哉が『前夜』の創刊の際に記した次のような創刊趣旨文は、戦後民主主義の本質的な限界を明らかにしている。

「この国の「地金」が剥き出しになってきた。まるで、戦後民主主義と平和主義の全ては、この「地金」を暫時隠していたメッキにすぎなかった、とでもいうかのように。〔…〕一九四五年の敗戦は、民主主義と平和主義の憲法をもたらしたけれども、この国の「地金」に本質的変化はなかったのであろう。いま、再び、戦争と差別の時代がやって来ようとしている。」

 ここで言われている「戦争」とは北朝鮮との戦争を、差別とは「国民」の名のもとに在日朝鮮人を排除するシステムをいう。よって明文改憲のかたちであれ、解釈改憲であれ、戦後五十年間、民主主義と平和主義というメッキに隠されていた地金が姿をあらわす時代が来たということである。

 筆者紹介

 1959年生。高麗大学史学科を経て日本・一橋大学で経済学博士学位(日本経済史)を取得した。山口大学教授を経て2000年から聖公会大学日本学科教授として在職中である。著書に『反日と東アジア』(共著)、『アジアの市民社会』(共著)などがある。

  • 2008.03.10 00:00 
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