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金光翔「陳述書」 

※:以下は、2010年4月21日に、東京地裁に提出した原告陳述書である。ウェブ上での掲載にあたっては、見やすさを考慮して、各見出しを強調化した。その他の強調箇所は原文通りである。※
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平成21年(ワ)第19716号
原告  金 光翔
被告 (株)新潮社 外2名


陳 述 書


平成22年4月21日
東京地方裁判所民事第5部合議係 御中
原告 金光翔


1.はじめに

 私は、2003年11月の岩波書店入社試験に合格し、12月1日付で同社に入社しました。もともと私は大学卒業後、出身大学の子会社に就職し、3年半ほど調査業務を行なっていたのですが、前職在職中に、知人から、岩波書店が中途入社の人員募集を行なっていることを聞き、応募したのです。知人は、私が岩波書店の刊行物を多く読んできたことを知っている人物でした。私が大学4年生の就職活動の年度には、岩波書店は新規採用を募集しておらず、数年ぶりの募集でした。私としては、当時の職場や仕事にも愛着はありましたが、「平和」や「人権」を擁護する数々の本、学術的に優れた本を数多く出版し、また、同社の出版姿勢を大変好ましく思っていました。

 特に、同社が発行する雑誌『世界』が編集部の名で、2003年2月号(2003年1月8日発売)の誌上に発表した「朝鮮問題に関する本誌の報道について」(甲75号証)には、非常に感銘を受けました。そこでは、「本誌がいま改めて自らの朝鮮報道の基本的姿勢について明らかにしようとするのは、第一に、現在の北朝鮮バッシングや日朝正常化を一歩も進めまいとする言説、あるいはそれに対する意識的、無意識的な同調の中に、従来から変わらぬ日本人の朝鮮認識の歪みがまたしても見出されると考えるからだ。」との前提の下、「本誌が朝鮮との関係を日本の根深い問題と位置付け、これに取り組むのは、まずこの異常さを日本人が認識し、自らの責任で解決しようと努めること、そして私たちが踏みつけ奪おうとしてきた隣人と心の底から和解するためである。それが、日本近代史の最大の歪みを正し、日本人の中に道義と正義を回復することになる。北のためでも、南のためでもない。まず第一に、日本人自らのためである。」「日本と朝鮮の和解のためには、朝鮮半島の人々がもっとも望み、またもっとも苦しんでいる問題の解決に、日本が尽力することではないか。  それは南北の和解と統一という問題である。」「民間の一雑誌が、一体民族間の和解や南北分断の克服といった大きな課題に、どれほどの寄与ができるのか、といわれるかもしれない。しかし、本誌はそれを担おうとしてきたし、またこれからも担おうと覚悟している。   戦争、対立、分断ではなく、平和、和解、連帯を。本誌の一貫した姿勢はこれに尽きる。」との、同誌の「朝鮮問題」に関する「基本姿勢」が示されており、その姿勢は過去を通じて「一貫したもの」であるとされていました。また、文章全体に見られる情勢認識や歴史認識も、概ね同意できるものでした。

 このような雑誌を発行している出版社ならば、私も企画・編集活動等で活躍でき、同社の発展にできると考え、応募した次第です。私が入社面接でこのような思いを述べたところ、面接に当たった山口昭男代表取締役社長をはじめとした役員方からの共感を得たように、私には感じられました。

 入社以来、私は、宣伝部に配属され、2006年4月1日付で、『世界』編集部に配属になりました。以下、『世界』編集部への配属と異動経緯に関する私の経験について、本訴訟での争点に即して述べたいと思います。


2.原告には耐え難かった『世界』の編集方針

 私が岡本氏に『世界』編集部からの異動願いを出したのは、基本的には『世界』の編集方針を理由としたものであり、私にはそれが受け入れられず、編集に従事することが精神的な苦痛と感じるがゆえに、自らの「思想・良心の自由」を守りたいと考えたからです。以下、どのような編集方針を苦痛と見なしたかを述べます。

 まず、『世界』編集部が被告佐藤を起用する方針をとっていたことが挙げられます。
 
 私が被告佐藤の著作をまともに読むようになったのは、2006年秋頃のことでした。被告佐藤が、『世界』2005年7月号から2006年4月号にかけて全9回で連載していた「民族の罠」もざっと見てはいましたが、そこではそれほど問題となる発言を見た記憶はなく、内容も取り立てて興味も引きませんでした。私は右派メディアの新聞や雑誌をそれほど読んでいなかったので、被告佐藤が右派メディアでどのような発言をしているかは全然知りませんでした。

 何が発端であったか記憶は不確かですが、偶然、インターネットサイトの「フジサンケイビジネスアイ」)(右派メディアの代表である、産経新聞社が経営している)で、被告佐藤の連載記事を読み、被告佐藤が数々の、『世界』やその他リベラル・左派メディアでは全く行なっていないような帝国主義的・排外主義的な主張を展開している事実を見て驚愕し、被告佐藤が右派メディアで行なっている発言を私は調べることになりました。

 当時、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による、2006年7月5日のミサイル発射実験、10月9日の核実験により、朝鮮半島をめぐる政治情勢は極めて緊迫していました。この間の状況については、『世界』の代表的執筆者の一人である姜尚中が、以下のように的確に描写しています。

「北朝鮮がミサイル発射の実験を行い、しかも核実験まで強行するに及び、国際世論は北朝鮮の「愚行」に激しい反発を露にした。そして日本国内の世論は激昂し、「朝鮮有事」の声すら飛び出す始末だった。さすがに、その騒然とした世論の風向きに、わたしも萎縮し、持論を引っ込め、少しでも風当たりが弱まっていくことを願うしか他にすべはない状態に追い込まれた。

「もしかして、戦争が起きるのでは・・・・・・」。新聞や雑誌、ラジオやテレビなど、見るもの、聞くものがすべて、「(北)朝鮮征伐」のようなトーンであふれ返っていた。

「やはり先生、在日朝鮮人は、この日本では生きていけませんね」。諦念とも、自嘲ともつかない言葉を耳にするにつけて、わたしは内心、激しい反発を覚えていた。

「もう一度、あんな凄惨な内戦をやれと言うのか。民族が殺しあう戦争で甦ったのはどこの国なのだ。『北朝鮮をやってしまえ』。それでどれだけの無辜の民が犠牲になるのか、わかっているのか」

こんな反発がわたしの中にむくむくと頭をもたげてくるのだが、そのはけ口はどこにも見当たらなかった。四囲どこを見ても、「(北)朝鮮征伐」にのめり込んでいく世論ばかりだった。」(姜尚中『在日』集英社文庫、2008年1月25日発行、218~219頁)

 私も上の姜と同様の認識を当時持っており、このような状況に心を痛めていました。

 また、2006年には朝鮮総連や関係団体への強制捜索が相次いでいました。これが、日朝関係の情勢の緊迫という政治的な背景のもとで行なわれたものであることは明らかでした。私は、日本の公立・私立学校出身であり、朝鮮総連系の団体に所属したこともなく、朝鮮総連の主張やこれまでの行為に対しては批判的見解を持っている点も多いのですが、朝鮮学校出身者の友人が何人もいたこともあり、また、同じ在日朝鮮人として、このような日本政府の行為と、それを先導するマスコミに対して強い怒りの感情を抱きました。

 そのような状況の下で、被告佐藤による北朝鮮への武力行使の必要性の主張、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性の主張を読み、大変驚き、かつ怒りを覚えました。

 また、被告佐藤は、上の点だけでなく、イスラエルのレバノン侵略の肯定、首相の靖国参拝の肯定、『新しい歴史教科書』とその教科書検定通過の擁護、朝鮮半島の統一が日本の国益に適わないという主張、日朝交渉における過去清算の徹底的な軽視など、私としては絶対に許容できず、しかも、『世界』の従来の論調と真っ向から対立していると思われる主張を積極的に行なっていることを知りました。私としては、雑誌はなるべく多様な見解が載ることが好ましいと考えていますが、上に挙げた論点は、『世界』としては譲れないはずの重要なものばかりであると考えました。

 また、被告佐藤は、メディア上で多数の媒体に執筆しており、ベストセラーの書籍も刊行しており、大きな影響力を持つので、被告佐藤を『世界』が起用することは極めて問題である、と私は考えました。なぜならば、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」(甲29号証)が指摘するように、『世界』のような「「人権」や「平和」を標榜するメディア」が「佐藤氏を積極的に誌面等で起用することは、人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らか」であり、また、「創刊以来60年、すでに日本唯一のクオリティマガジンとして、読者の圧倒的な信頼を確立しています。」などと自称し、また、学術的に書籍を多数出版しているとの社会的評価と信頼感を一定有する岩波書店の雑誌が、被告佐藤を起用し続けることは、被告佐藤の上記のような主張が、あたかも一定の合理的根拠を持っているかのような印象を、社会で被告佐藤の発言に接する読者に与えることも明らかだからです。

 そこで私は、こうした主張を展開する被告佐藤を、『世界』が使うのは明らかにおかしいと考え、私は、被告佐藤と親しい岡本ともう一人の編集部員に、上記の佐藤の発言を示し、被告佐藤を『世界』が起用するのはおかしいのではないか、と聞きました。

 この際、被告も「原告が主張するように、原告はこれまで被告佐藤の多くの論点に関する発言を問題とし、「世界」編集部に抗議をしてきた」と認めている通り、私は、上に挙げた、被告佐藤による諸々の主張を指摘しました。

 実は、私は当初は、岡本やこの編集部員は被告佐藤のこうした主張を知らなくて、これらの発言を見せれば、岡本やこの編集部員は被告佐藤の起用をやめるだろう、と楽観的に考えていたのです。というのも、私が『世界』編集部に在籍するようになった後でも、重要な主題に関して『世界』の論調と異なるということで、一面では聞くべき見解を持つある書き手の起用を拒否することは、ごく普通に行なわれてきたからです。私は、被告佐藤も、これまでのケースと同じことだと考えていたのです(私は今でも同じだと考えています)。

 ところが、岡本やこの編集部員は私の見解を受け入れませんでした。岡本は、「君はそう言うけれど、佐藤さんは僕に対して、「『世界』はもっと朝鮮総連の主張を掲載してはどうか」って言ってるんだよ。また、和田春樹さんも佐藤さんとよく一緒に行動している」と、また、この編集部員は、「確かに自分も朝鮮総連とイスラエルに関する発言は問題だと思うから佐藤さんに言ったことがある。だが、佐藤さんには佐藤さんの「戦略」があって発言している」旨を答えました。

 私は、それらの見解に全く同意できず、そもそも編集者はそうした「裏の事情」によって原則を曲げてはならないと考えたので、同意できない旨を述べました。

 また、編集会でも、被告佐藤を起用しようという企画に対して、上で挙げた被告佐藤の発言の趣旨のいくつかを挙げ、反対したのですが、私の主張は否定されました。
 
 また、私の名前は既に誌面に掲載されており、今後も掲載されるであろうから、私が『世界』編集部に在籍している限り、被告佐藤の起用を容認している『世界』編集部員には在日朝鮮人も存在する、という印象を読者に与えると考えました。私は、『世界』配属にあたって岡本と面談した際、インタビュアーや対談の司会者として自分の名前を出すのをやめたい旨述べましたが、岡本はそれを認めなかったため、甲76号証のように、「(司会…編集部・金光翔)」と、誌面に自分の名前を載せざるを得なかったのです。

 そして、私が苦痛と感じたもう一つの編集方針は、『世界』が、川人博を書き手として起用しようとしていたことです。

「労働問題」に関する特集の際に、岡本が編集会にて、ある編集者に川人に企画内容の相談および原稿依頼をしました。私は、編集会では異議を特に申し立てなかったのですが(佐藤起用への私の異議が否定された直後で、言っても無駄であろうと思ったので)、異動願を岡本に出す際には、川人の起用に賛同できないことも理由であることを伝えました。

 川人は弁護士で、過労死問題での活躍で著名な人権活動家でもあり、岩波書店からも著書を刊行している人物です。

しかし、川人は他方で、姜尚中や和田春樹のような、当時、戦争の危機を防ぐために、日朝間での平和的な国交正常化を進めようとしていた人物(この2人は『世界』の中心的な執筆者であり、また、このような主張は『世界』の当時の論調でもありました)を、北朝鮮の人権弾圧体制を黙認しているとして攻撃していました。例えば、和田に対しては、「研究者としての、そして元国家公務員としての基本的な責任感が欠如していると言わざるを得ない」とまで言っています(甲77号証)。また、川人は当時から現在に至るまで、「特定失踪者問題調査会」の幹部を務めています。この「特定失踪者問題調査会」は、荒木和博が代表を務めていますが、荒木は、拉致被害者「奪還」のために自衛隊の積極的な活用を主張する(一例を挙げれば、甲78号証)など、日本国内で「拉致問題」に関して再強硬派に位置づけられる人物です。そして、この荒木が代表であるところからも示唆されていますが、「特定失踪者問題調査会」は、右派色の極めて強い団体です。このような川人の姿勢や、「自らの拉致犯罪を棚に上げて日本の戦争責任を攻撃する金体制の手法は、今でも日本人の贖罪意識に乗じて、ある程度有効に機能し、拉致への追及を弱める効果を発揮している。」といった川人の主張が、北朝鮮の体制の問題は指摘しつつも、そのことは北朝鮮への日本の植民地支配の未清算を正当化する理由にも関係正常化しない理由にもならないとする、「朝鮮問題に関する本誌の報道について」(甲75号証)で打ち出されている『世界』の姿勢と相反するものであることは明らかです。

 私は、『世界』が川人を起用することは、川人の上記のような主張や行動を、少なくとも『世界』が起用を拒否するに足るほど否定的なものとは見なしていない、という印象を社会に与えると考えました。

 前述したように、当時の政治情勢について私は、戦争の一触即発の危機状態であると認識しており、このような状況の下で、川人を『世界』が起用することは、社会に対して大変深刻な影響を与えると考えました。また、被告佐藤の場合と同様に、私の名前が誌面に出ることへの懸念もありました。

 以上の理由から、被告佐藤の起用に加え、川人の起用に関しても私は『世界』の編集に従事するにあたって苦痛を感じるので、異動を希望する旨を岡本に伝えたのです。

 結局、『世界』はこの後、川人を起用しませんでした。その理由は恐らく、このすぐ後に川人が、『諸君!』2008年4月号(3月1日発売)に論文「姜尚中は金正日のサポーターか――「人権弁護士」の警告」(甲79号証)を発表し、姜尚中や和田春樹など「金正日独裁体制」を温存させる論者への攻撃をより積極的に行い始めたからです。同論文では、川人は姜を「金正日独裁体制のサポーター」と断じて、姜が1970年代後半から1980年代前半にかけて西ドイツ(当時)に留学していたことを挙げて「北朝鮮スパイ」である可能性すら示唆しています。また、「国交正常化という言葉は、響きはよいが、要は、日朝宣言にあるように、“補償”という名目で、日本からの莫大な援助を北朝鮮が手にいれることを意味する。」とも述べています。前述のように、このような川人の主張が、「朝鮮問題に関する本誌の報道について」(甲75号証)で打ち出されている『世界』の姿勢と相反するものであることは明らかです。川人はこの後、『金正日と日本の知識人』(講談社刊行、2007年6月20日発行)を新書で刊行するなど、「金正日独裁体制」を温存させるとする論者への攻撃をますます強めていきます。川人を起用することが明言されていたにもかかわらず、結局起用されなかったのは、川人の上述の言動・行動が原因であることは明らかであって、このことは、川人を書き手として起用する編集方針には従えないとして異動願を出した、私の行為が正当であったことを裏付けています。

 このほか、私が岡本氏に『世界』編集部からの異動願いを出した他の理由として、もう一つ、『世界』編集部内での、差別発言への私の批判をきっかけとした人間関係の極端な悪化の問題もありました(乙1号証)。私が編集部員A氏の中国人差別発言を批判したところ、岡本氏は、注意した私を非常識だとして批判するという行動をとりました。

 なお、被告は、この件を岡本が私を「持て余し」た一例だと主張しています。しかし、本件記事の異動経緯に関する真実性の立証範囲を、岡本が私を「持て余し」たか否かに限定することの不当性もさることながら、差別発言が横行している職場環境の改善を行なわず、注意した私が非常識であるとする見解を職制である岡本が示したことが、私への職場の「いじめ」を助長したのであり、岡本の姿勢が、会社の職場環境配慮義務を無視するものであることは明らかです。そのような、違法性を有する事実を挙げて、名誉毀損に関する免責が成立するとの被告の主張は、本末転倒です。


3.異動願の申請

 私は、上のような理由で、2006年12月7日(これまで、12月6日としていたのは、私の記憶違いであったので、ここに訂正します)に、岡本に口頭で異動願を出しました。

 この経緯についてより正確に述べておくと、2006年12月6日に、『世界』編集部部会で、岡本が『世界』編集部員山本賢に異動の内示が出されたことを述べました。私は、12月7日夜に岡本から編集業務(原稿整理)を命じられた際に、「現在の編集方針の下では、自分としては今後、法定労働時間以上の残業を希望しない、したがって、この業務も行なえない」旨を伝えました。そして、山本の代わりに自分が異動してもよい、と岡本に伝えました。

 山本に対しては、2007年1月8日付での『世界』編集部から他部署への異動の内示が出されたのですが、株式会社岩波書店においては、労使慣行上、異動対象個人および岩波書店労働組合の承認が、異動においては必要とされています。12月6日の山本への異動の内示については、同日の岩波書店労働組合『世界』編集部職場会において、『世界』編集部を対象とする度重なる異動について不満の声が多く出ており、12月7日夜時点では、山本および岩波書店労働組合は株式会社岩波書店に対して異動の承認をしておらず、したがって、山本の人事異動は成立していませんでした。そこで私は、異動に関して難航の予想される山本の代わりに原告が『世界』編集部から出るということで、編集長から会社に交渉してもらうことはできないか、と申し出たのです。

 株式会社岩波書店は、「岩波書店職員就業規則」の「第16条」で、「週実労働時間を33時間とする。平日の営業時間を午前9時から午後4時15分までとする。営業時間との関係で生じる週労働時間の不足分は、各自の仕事の状況に応じ、各職場ならびに各人の自主的判断に基づいて、 原則としてその週の労働日内に処理する。なお業務の性質によって出勤時刻を早めまたは退出時刻を遅くすることがある。」と定め、また、「第19条」で、「業務の都合によって、出張、時間外または休日勤務をすることがある。」とし、「第20条」で、「時間外ならびに休日勤務をした場合には、後日その該当時日を休務とすることができる。」と定めています。ところが、岩波書店は、労使間でいわゆる「三六協定」を結んでいないため、社員(職員)への残業代は一切支給されません。週実労働時間が33時間という規定は、編集部、特に『世界』編集部においては完全に有名無実化しており、私は、校了日前の1週間は、会社で徹夜して明け方にタクシーで帰宅することも珍しくありませんでした。

 岡本は「金が異動したいと言った」と解釈して『世界』編集部員に伝えましたが、このような、実際には各人の恒常的な残業が必須となっている業務の実態と、山本の異動が成立しておらず、難航が予想されるという状況の下で私が自分が異動してもよいと伝えたことから、私も、申し出が実質的にはその通りであると認めたので、本訴訟では、上記の岡本への原告の申し出を指して、「口頭で異動願を出した」としている次第です。

 さて、私自身は強い精神的苦痛を感じていましたが、このような状況でも私が、『世界』編集部員として、また、岩波書店編集部員として、業務を遂行しえていたことも記しておかなければなりません。

 2006年夏頃から、私の企画は編集会で採用されはじめ、秋頃からは、私が企画した3本前後の論文が、各号にコンスタントに載るようになりました。実質的に私が関与した最後の号である『世界』2008年1月号(2007年12月8日発売)に関しても、連載を除いた21本の文章のうち、3本は私が企画したものであり、その他にも岡本から編集を指示された記事を担当しています。また、この号以降に掲載するためのものとして原告が編集会に出した企画も承認されていました(これらの企画は異動願を申請した後日、編集長に引き継ぎました)。また、この他にも、『世界』編集部の業務とは別ですが、2007年1月に刊行された単行本の編集業務にも携わっており、ちょうどこの頃、作業のピークを迎えていました。

 このことは、当初の異動対象が私ではなかったことの理由でもあります。被告が主張するように、私の言動が編集長をして異動させるに足るほどの問題性を有していたものであり、編集長が異動を希望するほど「持て余し」ていたならば、既に遅くとも11月初旬の時点で私が被告佐藤の起用について強く異議を唱えていることは『世界』編集部内で周知の事実であり、既に編集部内で数度にわたって異議を唱えていたのですから、異動対象は編集部員山本ではなく、私でなければならなかったはずです。被告も「原告はこれまで被告佐藤の多くの論点に関する発言を問題とし、「世界」編集部に抗議をしてきた」と認めているように、私は、2006年9月頃から、数度にわたって『世界』編集部内で、被告佐藤と昵懇の『世界』編集部員、また別の編集部員、編集長に対して、『世界』が被告佐藤を使うことの問題性を指摘し、使うべきではない旨の意見を表明していました。

 このような状況の下で、私が異動願を出したのは、私にとって、被告佐藤を重用し、川人を起用するような雑誌『世界』の編集部に在籍し、編集行為に携わることは精神的苦痛を伴うものであるからであって、日本国憲法第19条が保障する「思想及び良心の自由」を守るために行なわれたものです。

 私は、被告佐藤を起用することや、今後、川人を起用することによって、人権や平和に対する大きな脅威を与えることに、強い精神的苦痛を感じていました。これは、そのような書き手を起用する編集方針に従事することへの苦痛と、そのような書き手を起用すること、また、私の名前が誌面に出る以上、在日朝鮮人である私が『世界』編集部員として、そのような編集方針を容認しているかのような印象を読者に対して与えることが、社会に悪影響を与えることへの苦痛です。

 そもそも私は、2003年2月号(2003年1月8日発売)の誌上に発表した「朝鮮問題に関する本誌の報道について」の内容や、従来の『世界』の論調から鑑みて、私が説明を受けた時点では雑誌『世界』において、その起用が精神的苦痛を伴うような書き手を登場させることが生じることを予期していなかったので、『世界』への異動を了承したのです。

 また、2006年2月に、会社から2006年4月1日付での『世界』編集部への異動の内示が出された時点において、既に被告佐藤は『世界』に登場していましたが、私は、この時点では、被告佐藤が他メディアで重大な問題を持つ主張を展開していることを全く知りませんでした。また、川人博も、『世界』への登場は2000年7月号が最後ですから、起用しようという声が起こるとは予期していませんでした。

 また、私は、『世界』編集部への配属にあたり、岡本から、雑誌『世界』は株式会社岩波書店役員から独立した編集権を有していること、『世界』の編集権限は編集長のみにあり、その他の部員はあくまでも編集長を補助する位置づけであることを説明されており、これについても了承していました。

 また、私の入社時(2003年12月1日)において、株式会社岩波書店は、政治問題とは無関係な分野の本を多数出版しており、また、岩波書店の出版する政治問題を主題とする書籍、岩波書店が発行する雑誌の掲載記事において、私が問題と考える上記の被告佐藤の発言と合致するような論旨のものは、管見の範囲では存在しません。また、前述の「朝鮮問題に関する本誌の報道について」の内容に照らしてみれば、被告佐藤および川人の主張が、朝鮮問題に関する『世界』の従来の編集方針と相反するものであることは明らかです。

 したがって、『世界』が政治問題を扱う雑誌である以上、編集部員の思想・良心に反する編集方針が雑誌において採られている場合、編集部員が自己の思想・良心の自由を守るために異動を申請することは、当然の権利であり、私は、そのような認識の下で異動を申請したのです。そのことは、私への異動内示(2007年2月23日)以前の、会社役員との面談時でも説明していますし、また、同年3月2日に、私が小島潔編集部長・岡本に対して異動を承諾する旨の回答を行なった際にも、私は、上記の認識を持っていることを述べています。

 小島編集部長および岡本は、編集部員が自己の思想・良心の自由を守るために異動申請の権利を持つか否かについては、曖昧な態度でしたが、この権利は、株式会社岩波書店の見解如何にかかわらず、憲法上保障されていると解されるべきものです。

 本件記事の異動に関する記述の箇所が私の社会的評価を著しく低下させているのは、私が編集者および会社員としての社会的規範に則った上で、以上述べた事情から明らかなように、自らの思想・良心の自由を守るためにやむなく異動願を出したにもかかわらず、本件記事においては、逆に、私に問題があったからこそ異動がなされた、とされている点です。

 本件記事の記述は、私が実際には、『世界』の編集方針の決定権が編集長にあることを承認した上で、自分から引き下がる形で異動申請を行なっている事実、私の異動申請が原告の思想・良心の自由を守るための権利の行使として主体的に行なわれている事実を無視しています。私の異動申請は、編集者および会社員としての、当然認められるべき行動であるにもかかわらず、被告はこうした事実を無視し、私が、特定の政治団体(朝鮮総連)の熱心な構成員もしくは同調者であること、自らが編集行為に関与する雑誌の編集方針に反対する行動を社外で行なっていること、編集方針が確定しているにもかかわらずそのことを認めようとしないことから、『世界』の編集が妨害され、そのために私が異動された、と読者に思わしめる記述を行なっています。そして、既に指摘しているように、前提となるこれらの記述は全て虚偽であります。これにより被る被害は、私のような出版業界に身を置く人間にとって、特に甚大なものであり、今後の私の活動を著しく制約するものであると言わざるを得ません。

 仮に、このような状況において異動願の申請において「思想・良心の自由」を主張して異動願を申請することが認められないならば、『世界』のように特定の政治的立場を強く打ち出し、政治的アピール文の宣言をしばしば『世界』が支持するものとして掲載し、また、編集長が「編集長」の肩書きで各種の政治活動を行なっている雑誌に配属された社員は、政治問題等に関して自らと相反する見解を主張する業務に従事することになるのであって、これが、その社員の「思想・良心の自由」の侵害であることは明らかです。

 また、本件記事が述べるように「「世界」編集長も(原告を)「持て余し、校正部に異動させた」のではなく、岡本が、異動の主たる要因について、「口頭で異動願を出した」点にあると認識していたことは、2007年2月23日における原告とのやりとりでの岡本の発言からも明らかです(甲16号証。なお、読みやすくするために、テープ起こしされたものから、相づち、言いよどみは省き、文意を損なわない形で修正した。なお、()内の文言は、原告による補足である)。
 岡本は2007年2月23日のやりとり(小島潔編集部長および岡本が、原告に対して、2007年4月1日付での校正部への異動を内示した会合)で、原告の異動に関して、

「私の管理職としての立場で、『世界』という雑誌の編集の責任者をしてる立場からちょっと言うと、個人的な話として聞いてほしい。これ、極めて残念だっていうふうに、僕は思ってるのね。やっぱり、金君がやりたいことは多分『世界』っていう雑誌のなかでですね、いろんなかたちでできたんじゃないかと僕は思ってるんですけどね。それをこういうかたちになったということ。これはこれまでの流れのなかで、こういうふうになったっていうことに。僕もずっと、あなたを横から見てて、その、何て言うのかな、もうちょっと我慢できなかったかなっていう感じはしています。誰かに言われたと思いますが、多分『世界』っていうのは、岩波のなかでも、もっとも自由なところだし、いろんな意味で、めちゃくちゃなことはあるけれども、自分のやりたいことも、かなりできる。できないこともあるけれども、かなりできるところだと、僕は思っています。で、その場で、やっぱりもう少し何て言うんだろう、もう少し我慢できれば、君がやりたいこと、考えてることなどが、もっと早めにできたんじゃないかなというふうに、個人的には思ってます。」

「去年やった日韓(関係)のシンポジウムでも、○○(金石範)先生と、あ、○○(池明観さん)も、ああ在日の人『世界』にいるんですかって○○(言って)、ある意味非常に驚かれたし、期待もされた部分もあって、で、そういうところを考えると、ほんとにね、ええ、極めて残念だっていう気はするし。」

と発言しています。

 こうした岡本の発言は、私が編集方針や職場環境等に「我慢」できずに自ら異動を申し出たことを「極めて残念」だと述べているものであり、岡本が、私の異動の主たる要因は、私が自ら異動を申し出た点にあると認識していることを示しています。この発言は、岡本が常々私に、自分も若い頃は企画が通らない時期が長く続いた、だから君も我慢が必要だ、と言っていたこととも符合します。この発言は、岡本が、異動の主たる要因が、私が「我慢」が出来ずに出した異動願にあると認識していることを示しているのであって、本件記事が言うところの「「世界」編集長も(原告を)「持て余し、校正部に異動させた」という記述が事実に反していることを明瞭に示しています。


4.異動願の申請から論文発表に至るまで

 会社は、山本の代わりに金を異動させるということは出来ないとし、私は前述のように、『世界』編集部では、三六協定がない状態での法定労働時間以上の残業は行なわない旨を伝えていたので、岡本は、私を『世界』の通常の編集業務から外し、岡本の単行本企画の下読み等の仕事を与えられ、校正部に異動となる2007年4月1日まで行ないました。

 その間、前述のように、2月23日に校正部への異動が内示として出され、私は検討の結果、3月2日に了承した旨を会社に伝えました。そして、4月1日以降は、校正部で校正業務を行うこととなり、現在に至っています。

 異動願を申請する前後から、私は、他の書き手の場合は重要な主題に関して『世界』の論調と異なる場合、起用されないにもかかわらず、被告佐藤の場合のみはその点は問題とされず、起用されていることについて、それ自体が一つの考察すべきテーマなのではないか、と思うようになりました。
 ことは、『世界』に限りません。斎藤貴男や森達也、魚住昭など、『世界』の執筆者であり、一般的にはリベラルまたは左派と見なされる人物も、被告佐藤と懇意にしていることを公にしていました。私は、これも、『世界』で私が経験したことと、同じ性格のものであると考えました。

 私は、被告佐藤と懇意な編集者や『世界』の執筆者たち(リベラルまたは左派として一般的には見なされる人々です)がなぜ被告佐藤に引きつけられているのかという問いについて考えるようになりました。そして、被告佐藤の著作を読んでいく中で、被告佐藤の多くの主張のうち、リベラル・左派が特に引きつけられるものが存在し、それが、リベラル・左派が被告佐藤の国家主義的・排外主義的な主張を問題にしないことの大きな要因になっているのではないか、と考えるようになりました。

 被告佐藤を起用する、リベラル・左派と一般には見なされる雑誌は、『世界』だけではなく、株式会社金曜日が発行する週刊誌『週刊金曜日』もそうでした。私は、『世界』や『週刊金曜日』で被告佐藤を重用していることが、ほとんど一般的には批判されていないことにも疑問を抱き、なぜ起用が黙認されているか、という問題についても検討することになりました。

 そして、過去数年間のリベラル・左派の論調や、同時代の、当時の『世界』編集部内部でのやりとり、知人とのやりとり、市民運動やリベラル・左派系の雑誌の論調、各種団体や言論人の主張等を見るにつけて、被告佐藤の主張がリベラル・左派の一部に強く好まれ、また、起用が表立っては批判されないことは、単なる一過性のものではなく、極めて根が深いものであると考えるようになりました。そして、その背景には、リベラル・左派による、改憲(解釈改憲も含む)後に備えて「現実的」な勢力となっておきたいという動機が強く存在し、そのために、リベラル・左派の一種の「改変」という現象が、なし崩しの形で進展していると考えるに至りました。

 リベラル・左派の言論においては当時、特に、「戦後レジームの打破」を唱え、憲法改正を実現させると明言した安倍政権時代に、「「健全な保守」ならば改憲に反対するはずで、そのような「健全な保守」と組んで、改憲に反対していくべきだ」という論調が支配的でした。憲法改正の前段階と見なされた、教育基本法改正への反対を表明する言説および運動において、そのような傾向が特に助長されていました。また、安倍政権をある種のファシズム誕生の前夜と見なして、ファシズム成立に抗しよう、という言説も少なからず見受けられました。すなわち、改憲反対、ファシズム反対との名目で、一種の「人民戦線」をつくらなければならない、とする言説が、リベラル・左派内部においては支配的な潮流となっていました。

 そして、私は、被告佐藤のさまざまな著作や、極めて多数にわたる雑誌での発言を見て、被告佐藤が「国家主義者」であることを自称しながらも自らが「護憲」の立場であることを主張していること(「<佐藤優現象>批判」で指摘したように、被告佐藤の「護憲」とは解釈改憲が前提ですから、リベラル・左派が言う「健全な保守」には本来該当しないのですが)、また、「人民戦線」と要約される主張を提唱していることを認識しました。そして、被告佐藤がそれらを主張するのは、被告佐藤が上述のリベラル・左派内の潮流の存在をよく認識しており、そして、自らがリベラル・左派の言論界で活躍するためにその潮流を自覚的に利用しようとしているからであると考えました。

 そして、被告佐藤のように、国家主義的・排外主義的主張を行っている人物がリベラル・左派の言論界にいること自体が、改憲後に備えて「現実的」な勢力となっておきたいというリベラル・左派内部の欲望を満たすものであると同時に、そのような傾向を促進するものとして機能していると考えました。

 つまり、「人民戦線」等の、一見口当たりのよい名目の下で、リベラル・左派の変質が進行しており、それが被告佐藤のリベラル・左派内部での活躍を支えており、また、その活躍によって、その進行が促進されている、と私は考えるようになりました。

 私は、2007年4月に、片山貴夫が『週刊金曜日』編集部と交わしたやりとりを、片山のブログで見て、上記の見解に確信を持つようになりました。片山は、『週刊金曜日』が被告佐藤を起用していることに抗議し、それへの編集部の回答を掲載していたのですが、そこでの回答は、私が『世界』編集部で聞いた、被告佐藤を起用するにあたっての弁明と極めて似ていたからです。私は、自分が『世界』で接した編集部員たちの発言が、単にそれらの人々個人の問題ではなく、被告佐藤と懇意なリベラル・左派全般の考え方や心性を示唆するものと言えるとの自信を深めました。

 そのような認識の下で、私は、自分が管理するブログ「私にも話させて」の2007年6月に、4回にわたって、「佐藤優現象について」という記事を掲載し、上記の見解をまとめました。

 私はここで、被告佐藤自身よりも、被告佐藤をリベラル・左派までが重用することによって、被告佐藤が「論壇」を席巻している状態を「佐藤優現象」と捉えて、そのことの持つ問題を指摘しました。そして、「佐藤優現象の下で起こっていることは、「日本がファシズム国家の道に進むことを阻止するために、人民戦線的に、佐藤優のような保守派(私から見れば右翼)とも大同団結しよう」という大義のもと、実際には、イスラエル型国家に適合的なリベラルへと、日本のジャーナリズム内の護憲派が再編されていくプロセス」であると主張しました。

 私は、「佐藤優現象」の下で進行するリベラル・左派の変質は、在日朝鮮人にとって、危機的な性格を持っていると考えました。そして、この問題とその重要性を世に広く訴えたいと考えました。

 そこで、私の上記の見解に賛意を表する知人に対して、その人物が編集委員として関与している雑誌『インパクション』(インパクト出版社刊行)に、この件について発表できないか相談しました。この人物も、掲載には大きな意義があるとしてくれ、『インパクション』編集長および編集委員で検討した結果、私への執筆依頼が決まりました。そのような経緯で、『インパクション』第160号に掲載されたのが、論文「<佐藤優現象>批判」です。


5.論文発表直後

 「<佐藤優現象>批判」は、幸い、発表直後、ウェブ上を中心に、多くの好意的な感想を得ました。その中には、元外交官の天木直人氏によるもの(2007年11月14日付)や、朝日新聞誌上での川島真・東京大学教授によるもの(2007年11月29日)など、著名な人々によるものもありました。また、『世界』に在籍する編集者、『週刊金曜日』に在籍する編集者、それらを含めたリベラル・左派系の媒体の執筆者が参加しているメーリングリスト上でも、11月12日、17日、22日に、それぞれ別の人々によって、論文に対して極めて好意的な感想が投稿されました。また、『インパクション』編集長によれば、刊行直後からそれほど日をおかず、かなりの読者から、好意的な意見が編集部に届けられたとのことでした。

 私は、この好評に気をよくしており、この流れが続き、リベラル・左派の変質、<佐藤優現象>に対して批判的な見解がより多く出されることを期待しました。

 他方で、岩波書店労働組合からは、私が「岩波書店壁新聞」を無断引用したことに関して、抗議を受けました。これに関しては、私の行為は著作権法に則ったものであり、何ら問題ない旨回答しました。


6.本件記事と岩波書店の私への「厳重注意」:①『週刊新潮』当該号発売前 

 このような状況の下で、本件記事が掲載された『週刊新潮』2007年12月6日号が、11月29日に発売されました。

 被告も被告準備書面(4)で明らかにしているとおり、『週刊新潮』荻原信也記者は、2007年11月23日15時36分付で、私への取材依頼のメールを送ってきていました。私は、『週刊新潮』と被告佐藤との関係、これまでの『週刊新潮』の論調から、まともに取材に応じることはかえって相手の思うツボであり、また、社員としての秘密保持義務にも反しかねないと考え、無視しました。

 そして、本件記事が掲載されるとの情報および被告佐藤の行動は、株式会社岩波書店による、私への諸注意、私の今後の言論活動の封じ込め等とも、密接に関わるものです。以下、その経緯と理由を述べます。

 私は、『週刊新潮』該当号の発売の1日前の11月28日に、会社で勤務中に、役員から呼び出しを受け、指定された別室に移動しました。

 同席した役員は、宮部信明取締役・編集部長(当時。現在は常務取締役)、小松代和夫取締役・総務部長でした。

 宮部取締役はこの席上、私の論文が、「著者・読者・職場の信頼関係を損なうものであり、岩波書店を成り立たせる存立基盤を掘り崩すものだと考える」と述べました。そして、このような形で今後は論文等を発表しないよう求め、私にそのように誓約することを求めました。そして、その回答次第で、私へ処分を下すかどうかということも変わってくるかもしれない、と述べました。

 また、この日に私に対して示された、会社が批判すべきでないとした「岩波書店の著者」の定義は、「岩波書店から1冊でも本を出版するか、または、『世界』等の岩波書店の雑誌で何回か記事を書いた人」というものであり、しかも、そのような「岩波書店の著者」が執筆した本や記事への批判は、その本や記事の発行元が他社であったとしても、岩波書店の刊行物を批判したものと同じと見なす、とするものでした。宮部取締役は、このように主張した上で、「会社の社員という身分を外して、学者になられたりすれば、自由に論評なさっていいわけですよ」と述べているので(同趣旨の主張は、この日、二度行われています)、会社は実質的に、私に退職勧告を行なってきたと言えると思います。

 被告佐藤の取材記録(乙11号証)における「岩波の社員であるということも聞きまして、それを受けて岩波書店側には抗議をしています。」という発言により、被告佐藤は、11月24日以前の時点で、会社に抗議を行っていることが判明しました。

 そもそも、私は論文を個人の資格で書いたのであり、そのことは、私が岩波書店社員との情報を出していないことからも明らかであって、被告佐藤が私の論文に異議があるのであれば、公的に反論するのが言論のルールであり、常識です。ところが、被告佐藤はそのような手続きを一切行わず、岩波書店に抗議を行なっています。

 本件記事の言葉を借りれば、「超売れっ子作家」であり、宮部取締役によれば「岩波書店のかなり中心的な著者の一人」(2007年11月30日の発言)である被告佐藤が、会社に抗議すれば、会社が私に対して、今後、被告佐藤への批判を止めるよう注意するであろうことは、容易に予想し得たはずです。被告佐藤は、「岩波書店の社風」は「自らの正しいと信じる筋をたいせつにし、「然りには然り、否には否」をいう」ものであり、「この社風を体現している岩波書店の山口昭男社長」を、「私はとても尊敬している」と述べており(佐藤優『獄中記』岩波書店刊行、2006年12月6日発行、464頁。甲80号証)、また、山口昭男岩波書店代表取締役社長は「最近、佐藤優さんがヘーゲル、マルクスからハーバーマスまでの読み直しをしていて、壮大な解釈を試みているのは面白いし、新しさがあると思います。」(「interview 山口昭男・岩波書店代表取締役社長」『論座』2008年5月号、4月1日発売。甲81号証)と、被告佐藤が本件記事で「今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」とまで岩波書店を激しく批判したにもかかわらず、被告佐藤に対して極めて好意的に語っています。これらのことから、被告佐藤と山口社長が懇意であることは明らかです。したがって、会社に抗議を行なったという被告佐藤の行為自体が、自分への私の批判を封殺しようとする行為であり、また、会社が私に嫌がらせを行うであろうということを見越した、極めて悪質な行為であると言えます。


7.『週刊新潮』当該号発売直後に本件記事を読んで

 2007年11月28日(水曜日)に見た、電車の『週刊新潮』2007年12月6日号の吊革広告には、私が覚悟していたとおり、「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」なる見出しの記事がありました。この時点ではまだ、同号は発売されていなかったので、私は、不安とともに発売を待ちました。

 翌11月29日に、『週刊新潮』2007年12月6日号が発売されました。私が現物を見たのは、29日の早朝、近所のコンビニにおいてであったと記憶しています。私は早速購入し、家に帰って熟読しました。

 私は本件記事を読み、事実の極端な歪曲と、私に対する悪意に満ちた記述、反論もしないまま「言ってもいないことを書いている」などと私の論文の価値を著しく低下させる被告佐藤の卑劣さなどに、激しい怒りを覚えました。

 また、このような歪曲された、私の名誉を著しく低下させる記事が、日本全国の書店に、数十万部の規模で販売されているという事実に、大変ショックを受け、精神的に深く傷つきました。

 被告会社および被告早川が発行する『週刊新潮』は、日本有数の発行部数を有する週刊誌であり、単純に発行部数と、新聞広告・吊革広告等の広告量の多さから見ても、同誌の影響力は大きなものです。

 その誌面における、「岩波関係者」の証言を用いた、私が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をし」たとの記述は、一般読者の普通の注意と読み方からすれば、私が朝鮮総連の熱心な構成員もしくは同調者であり、だからこそ被告佐藤の起用に反対し、また、論文において被告佐藤を批判しているかのように、私の『世界』編集部における編集活動および論文執筆が、公正な立場から行われたものではないと読む者をして思わしめるものです。

 また、実際には私は、2006年12月初旬時点の『世界』の編集方針と原告の思想信条が相反していることを理由として、『世界』編集長に口頭で異動願を出したという形で、適正な手続きに基づいて行なっているにもかかわらず、「岩波関係者」の証言を用いて、私が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり、匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など、社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった。編集長も持て余し、校正部に異動させた」との記述は、あたかも私が非理性的で、自分勝手で、非常識な人間であるかのように読む者をして思わしめるものです。

 また、「岩波関係者」の証言を用いた、私の論文には「社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません」との記述は、あたかも私が「社外秘」を社外に漏らすという、社会通念上、社会人としてふさわしくない人間であるかのように読む者をして思わしめるものです。

 また、「岩波関係者」の証言を用いた、私の論文においては私「の上司も実名を挙げられ、批判されている」との記述は、あたかも私が私怨を込めて論文を書くような人間であるかのように読む者をして思わしめるものです。

 また、被告佐藤による、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません。そして、『IMPACTION』のみならず、岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」との発言は、あたかも私が他人の主張を捏造し、社会通念上の言論のルールを逸脱した攻撃を行なう人間であり、かつ、「社外秘」を社外に漏らすという、社会通念上、社会人としてふさわしくない人間であるかのように読む者をして思わしめるものです。

 また、被告会社および被告早川は、本件記事の本文において、論文の筆者たる私の実名を出した上で、「岩波関係者」の発言として、「金さんは、実は現役の岩波書店の社員」、「中途で入社し、宣伝部を経て『世界』編集部に配属されました。当初は通名でしたが、何時の間にか韓国名を名乗るようになった」などと、原告が本件記事掲載時には公開していなかった個人情報を摘示しており、私のプライバシーすら侵害されています。

 私は、私の所属する首都圏労働組合の友人たちと相談し、「首都圏労働組合特設ブログ」を開設して、そこで、本件記事の事実の誤りを指摘していくことにしました(甲4号証参照)。『週刊新潮』の影響力に比べれば、このようなブログの影響力は微々たるものですが、それでも、そのようにせずにはおれませんでした。


8.本件記事と岩波書店の私への「厳重注意」:②『週刊新潮』当該号発売後 

 『週刊新潮』当該号発売日にも、私はこれまでと変わりなく出社していました。社員の私を見る視線に、何かぎこちないものを感じました。

 多少は同情してくれているのだろうか、などと甘いことを考えたのですが、事態は全く逆でした。社員の大多数を組織する岩波書店労働組合(当時の岩波書店の役員8名中、4名が岩波書店労働組合の委員長・副委員長経験者であることや、岩波書店労働組合で中心的な活動を行なった後、職制になるケースが極めて多いことからも分かるように、典型的な御用組合です)は、発売日である11月29日の夕方に、まるで『週刊新潮』の発売(吊革広告はこの前日に出ていますから、当然、一定数の人間は私に関する記事が翌日発売の『週刊新潮』に掲載されることを知っていたはずです)に便乗するかのように、「岩波書店労働組合壁新聞」で私を実名入りで批判しました。また、これにとどまらず、12月6日には、同内容の私への批判文書を、わざわざ組合員全員200名前後に配布しました。ここまで一つの見解(というよりも、実名入りでの個人攻撃)を「周知徹底」させようという意思は、これまで経営側との団交時にも存在しないものですから、岩波書店労働組合の行為は、明らかな、本件記事に便乗した、私に対する「嫌がらせ」であり、「いじめ」そのものです。

 そのような状況に私はうんざりしていたのですが、さらに、株式会社岩波書店は、本件記事に関連した形で、私への「嫌がらせ」としか思えない行動をとることになります。

 私は、11月30日に、改めて会社とやりとりを行いました。その席上で、私は、28日に会社が述べた、「岩波書店の著者」の著作等を批判する内容を含む論文等を発表しないと誓約せよとの命令に対して、誓約する気はない旨を伝えました。

 そして、12月5日に、山口昭男社長より、今回の論文の発表について、「口頭による厳重注意」を受けました。「社員でありながら、あの論文を公表したことは、岩波書店の社会的な信用を傷つけた。今後はこのような行為は慎んでほしい」とのことでした。

 この「口頭による厳重注意」は、「就業規則に基づく処分」ではなく懲罰ではないとのことですが、後日の会社に説明によれば、会社は、私に「口頭による厳重注意」を行なったこととその内容を、12月12日(私は偶然休んでいた)に全社員に、役員臨席でわざわざ臨時部会・課会を開いて伝えたとのことでした。これまで、ある社員が「就業規則に基づく処分」で懲罰を与えられた場合でも、このような措置がとられたことはないので、これは、極めて異例の措置と言えます。

 会社によれば、これは、本件記事が掲載された『週刊新潮』が発売されたために、緊急の必要があったためこのように全社員に臨時で伝えた、とのことでした。ですが、記録や私による聞き取りによれば、会社は社員への伝達の場で、本件記事に対して今後、社員はどのように対応すべきかといった指示は一切行なっておらず、単に私にどのような理由で注意をしたかを告知したに過ぎなかったのですから、このような会社の措置が、私を「見せしめ」にしようという、「嫌がらせ」の一種であったことは明らかです。

 また、会社は、「口頭による厳重注意」を下す理由として、会社が私の論文によって被害を被ったとし、被害の一例として、「『週刊新潮』の記事によって生じた会社への不利益」を挙げています。すなわち、私が論文を発表したことによって、本件記事が書かれたのだから、本件記事により被る岩波書店の被害も私の責任である、と主張しているのです。本来、岩波書店は虚偽の事実を用いて私を誹謗中傷する株式会社新潮社に対して、会社は社員の人権を保護するという信義則上、抗議すべきであるところ、私に責任をなすりつけているのであって、これも、私に対する「嫌がらせ」と言わざるを得ません。

 以上のように、本件記事が出たことにより、岩波書店は、この記事を用いて私への「嫌がらせ」を行なっているのであり、このような点からも、私は本件記事によって極めて大きな被害を被っていると言えます。


9.被告佐藤と安田好弘弁護士(被告佐藤代理人)と『インパクション』編集長の会合

 私の論文により、被告佐藤は、自身および自身を使うメディアへの批判が広まることを恐れたようです。本件記事もその一つですが、本件記事掲載の『週刊新潮』発売後、約1ヶ月半の期間の被告佐藤の行動のいくつかには、反論という正当なルートを用いずに、批判を弱めようする特徴が見られると思います。

 本件記事の掲載からそれほど日が経っていない、12月29日発売の『週刊新潮』2008年1月3日・10日号には、「「天皇のお言葉」の秘密を暴露してしまった「元外務官僚」」なる見出しの、原田武夫(原田武夫国際戦略情報研究所代表、元外務省職員)に対する大々的な中傷記事(甲15号証)が掲載されています。

 原田は、自身のブログで被告佐藤を批判する記事を書き(2007年5月13日付)、2007年12月12日には、「佐藤優という男の「インテリジェンス論」研究(その1)」なる被告佐藤への批判記事をブログで掲載し、この批判をシリーズ化することを予告していました(甲14号証)。そして、2008年1月10日には、被告佐藤への批判の内容を含む原田の著書(原田武夫『北朝鮮vs.アメリカ』ちくま新書)が刊行される予定であることも、ブログ上で告知されていました。被告佐藤と『週刊新潮』との密接な関係から考えれば、この原田に関する記事も、原田の社会的評価を低下させ、原田による被告佐藤への批判の信頼性および社会的影響力を弱めようとする、被告佐藤の動機を大きな要因として成立したものであることが強く推認されると言えます。

 また、被告佐藤は、本件記事掲載の『週刊新潮』発売後、2008年1月10日に、安田好弘弁護士(被告佐藤代理人)と、私の論文を掲載した『インパクション』の深田卓編集長の三人で、会合を開いています。

 この会合は、安田弁護士が『インパクション』誌上にしばしば登場しており、深田および被告佐藤と親しい関係にあることから、安田弁護士が仲介役を行なうことで実現したものだと深田からは聞いています。

 深田に以前聞いたところによれば、この会合は、2007年11月中に、被告佐藤が深田に、安田弁護士を仲介にして会合を持つことを電話で提案し、その後、深田が了承したことに端を発するとのことです。私は、このような会合が持たれることについて、深田に強く反対したのですが、受け入れられませんでした。

 この、私の論文に対して反論を送ることなく、掲載誌の出版社代表と話し合って「手打ち」をするという行為が、自分へのさらなる批判の掲載を回避しようという被告佐藤の動機に起因することは明らかです。現に、この会合以降、『インパクション』に、被告佐藤への批判的内容を含む文章は掲載されていません。

 ところで、深田から会合内容を聞いた『インパクション』関係者によれば(遺憾なことに、深田は私には会合内容の詳細を伝えませんでした)、この会合内容は、以下のようなものだったとのことです。

○被告佐藤が本件記事で述べている「言ってもいないこと」の一つは、<佐藤の言う「人民戦線」とは、在日朝鮮人を排除した「国民戦線」のことだ>(「在日朝鮮人」ではなく、「朝鮮総連」と言っていたかもしれない)という、私の主張を指している(他の部分について、具体的な指摘があったかは分からない)。

○深田が、『週刊新潮』の私に関する記事はよくないと言ったところ、被告佐藤は、『週刊新潮』の記者(塩見洋デスクと思われる)は、何かあると相談する関係であり、今回は、被告佐藤が悩んでいることをいつものように相談したところ、『週刊新潮』側が独断で記事にすることにし、記事になったものだと答えた。被告佐藤は、記事での被告佐藤の発言には責任を負うが、記事自体には責任は負えないと主張している。

○被告佐藤は、私の論文への反論記事を書くつもりがない、と言っている。

○被告佐藤は、私の論文において、岩波書店の内部情報が使われたことも問題だと主張している。

○被告佐藤は、私の論文において、『週刊金曜日』編集長のメールが使われたこと(多分、片山貴夫氏のブログの記述の引用)も問題だと主張している。

○被告佐藤は、私の論文への反論ではなく、『インパクション』に自分の別の論文を投稿したいと述べている。これに対して、深田は、掲載は編集委員との相談で決めることだと答えた。

 ここからは、本件記事掲載号発売から、それほど月日が経っていないことから、被告佐藤が当初考えていたことをよく読み取れるように思います。被告佐藤が『週刊新潮』記者に相談したところ、独断で記事にすることになったと述べているらしい点、また、被告佐藤が記事での自身の発言には責任を負うと述べているらしい点は、本訴訟における被告の主張と食い違っています。

 また、本件記事掲載号発売からすぐ後に、私が電話で深田から聞いたところでは、深田は被告佐藤と話した際、佐藤は金が今後も自分への批判を行なってくるかを非常に気にしていて、脅えているような感じだった、新潮の記事も批判封じのために佐藤が仕掛けたのだろう、という感想を持った旨を述べています。

 このような、本件記事掲載号発売からそれほど日を経ていない頃の被告佐藤の発言は、本件記事執筆経緯の真相を考える上で、極めて示唆的なものであると考えます。


10.被告佐藤による私への攻撃

 上記の会合ののち、被告佐藤による、批判に対してまともに反論することなく出版社との話をつけて言論封殺を図ろうとする姿勢は、一部のマスコミや言論人の注目をあびることとなります。

 被告佐藤は、雑誌『SAPIO』(小学館発行)で連載を持っていますが、同じく同誌で連載を持っている漫画家の小林よしのりが、雑誌『わしズム』(小学館発行)で被告佐藤を批判したことに関して、直接小林に反論せず、そのような批判をする小林の連載を掲載している『SAPIO』編集長を批判し、このままならば刊行中の書籍は一切引き揚げる、小学館で行っている雑誌連載や出版計画などもすべて白紙撤回する、今回の内幕について手記を寄稿するか、新書本を書き下ろすなどと通告するなどの圧力をかけて、自身への批判の掲載をやめさせようとしています(甲30号証)。被告佐藤のこうした行動に関して、小林は、被告佐藤を「言論封殺魔」だとして、「『わしズム』はわしが責任編集長なのに、「言論封殺魔」は、発売されると直ちに「SAPIO」編集長に電話をかけてくる。こんなデタラメな話が許されるのか?」「「言論封殺魔」は「SPA!」9月23日号で書いた通りに、「事実関係で相手をぎりぎり締め上げ」たり、「ねちねちと何度も質問状を出す」手口で、版権引き上げや出版計画の撤回など、あらゆる圧力を小学館にかけている」(「「ゴーマニズム宣言」第36章」『SAPIO』2008年11月26日号。11月12日発売)と激しく批判していますが、被告佐藤は、その行為の「言論封殺」性を否定することのないまま、開き直りと言える態度をとっています。

 被告佐藤がこのように、わざわざ公開の形で『SAPIO』編集長に対して圧力をかけたのは、被告佐藤への批判を掲載すると、紛糾事態が生じるということを各誌の編集者に知らしめ、被告佐藤を批判する記事を掲載することを各誌の編集者に萎縮させるためであると思われます。これは、本件記事が、自身への批判者に対する「見せしめ」のための、被告佐藤への批判を萎縮させるためのものであることを裏付けています。

 ところで、被告佐藤と小林の争いは、大きな社会的注目を浴び、被告佐藤が言論封殺行為をこれまで繰り返してきていることも話題になりました。例えば、『週刊朝日』2008年11月07日号(10月28日発売)の宮崎哲弥と川端幹人の対談(「宮崎哲弥&川端幹人の中吊り倶楽部」)は、被告佐藤と小林の争いに言及しており、宮崎は、佐藤の出版社に圧力をかけるやり方に、川端は、マスコミにおける佐藤優タブーに、それぞれ疑問を呈しています。

 この過程で、被告佐藤が『週刊新潮』と結託して本件記事を作成させ、私への言論封殺を行ったことにも注目が集まりました。

 例えば、『実話ナックルズRARE』2008年11月号の記事「マスコミを手玉に取る「佐藤優」の「剛腕」ぶり」(甲31号証)は、被告佐藤の気に入らなかった『AERA』記者の大鹿靖明記者や私に対する、被告佐藤の行動を、「エグい批判封じ」と報じており、「佐藤を知るジャーナリスト」の証言を用いて、本件記事は「佐藤が新潮に書かせたものだったんじゃないかといわれている」と述べています。また、『中央ジャーナル』第203号(2008年11月25日発行。甲32号証)の記事「佐藤優が岩波書店社員を恫喝」においても、被告佐藤が、「出版社への佐藤批判封じ」をエスカレートさせ」ていると報じられています。

 小林も、前掲「「ゴーマニズム宣言」第36章」で、

「さて、沖縄で、すっかり若者からその偏向振りを見抜かれている新聞を、懸命にヨイショする「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は、本土ではあちこちの出版社に圧力をかけて自分への反論を封殺している。ミニコミ(注・『インパクション』のこと)の編集部にまで弁護士と共に押しかけ、岩波書店の一社員の批判まで封じ込め、『AERA』に書かれた自分の評伝も、気にくわなかったらしく、執筆者を吊るし上げ、やりたい放題!」

「「実話ナックルズRARE」によると、言論封殺魔は「AERA」に評伝を書いた朝日の記者を、マスコミ関係者が集まる勉強会で参加者の面前で30分以上つるし上げ、その後さらに公開質問状をつきつけ、記者は社内で干されてしまったという。また、ミニコミ誌での批判まで封じ込まれた岩波社員は、「首都圏労働組合特設ブログ」において岩波書店内部で行われている恐るべき言論封殺・弾圧を詳細に報告している。」

と、被告佐藤による私への言論封殺について取り上げています。

 このような状況の下で、被告佐藤は焦ったのか、本件記事に続き、私への攻撃を行いました。

 それは、『SPA!』2008年12月9日号(12月2日発売)に掲載された、「佐藤優のインテリジェンス職業相談 第三回」(甲27号証)です。ここで被告佐藤は、明らかに小林を想定した「大林わるのり(ペンネーム) 55歳」が、被告佐藤に窮状を相談する、という「フィクション」の形式を用いて、小林を批判してます。「本職業相談は、『SAPIO』11月26日号(小学館)に掲載の「ゴーマニズム宣言」第36章を題材にしたフィクションです。」との注が付されています。

 この中で、「大林わるのり」は、「「言論封殺魔」がやってきて、あらゆる雑誌編集部に手を回しているのでわしの素晴らしい原稿が日の目を見ない」、また、自分が「言論封殺魔」を批判した漫画で、「すこし「飛ばし」(事実でない記述をすること)てしま」い、「事実誤認で「言論封殺魔」から損害賠償請求をされるのではないか?そのことを考えると心配で夜も眠れない」と、被告佐藤に相談しています。

 そして、ここでの「事実誤認」の一例として、被告佐藤は「大林わるのり」に、以下のように言わせています。「「言論封殺・弾圧を詳細に報告している」とある労働組合のブログを紹介したが、この労働組合が委員長、書記長の名前、住所、電話番号もわからないユウレイ組合だったのだ」と。

 ここでの「労働組合のブログ」が、私が所属する首都圏労働組合の「首都圏労働組合特設ブログ」であることは明らかです。

 被告佐藤は、私の所属している労働組合が、「ユウレイ組合」だとして、私の社会的評価を低下させ、私による被告佐藤への批判の信頼性を貶めようとしていると言えます。
 ですが、首都圏労働組合は、現時点では労働委員会への資格審査の申請をしていないものの、労働組合法第2条の「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体」という「労働組合」の定義に合致する、歴とした労働組合であって、いわゆる「憲法上の労働組合」です。もちろん、「委員長、書記長の名前、住所、電話番号」も明確に有します。被告佐藤は、何の根拠もなく首都圏労働組合を「ユウレイ組合」などと決めつけているが、これが全くの真実性を持たない、首都圏労働組合の名誉を毀損する行為であることは明らかです。

 被告佐藤が、メディア上で私に関して言及したのは、管見の範囲では、本件記事と、月刊誌『ZAITEN』2008年7月号に掲載された「佐藤優の「獄外日記」」での以下の記述「(注・2008年)4月23日(水)/晴れ/学士会館の中華レストラン「紅楼夢」で和田春樹東京大学名誉教授と意見交換。金光翔氏(岩波書店社員)の『インパクション』誌に掲載された「<佐藤優現象>批判」なる論文について。『インパクション』誌の編集方針に小生に対する特段の偏見はないという認識で一致。」以外には、上記の『SPA!』での発言のみです。

 なお、被告佐藤は、上記『SPA!』での記事をそのまま単行本『インテリジェンス人生相談 [社会編]』 (扶桑社、2009年4月25日刊行)に収録しています。首都圏労働組合および私に対する名誉毀損行為を、単行本という形で、さらに繰り返していると言えます。


11.被告佐藤への質問状の送付

 以上のように、被告佐藤は、本件記事において私の名誉を毀損する発言を行っているにもかかわらず、その具体的な根拠をメディア上で一切明らかにせず、また、私の所属する首都圏労働組合に対する何ら根拠のない中傷によって、私の批判の信頼性を低下させようとしています。このような被告佐藤の姿勢は、極めて不当であると考えたので、私は、被告佐藤に対して、2009年2月25日付の公開質問状(甲10号証)を、同日に、内容証明郵便で被告早川宛てに送り、添付用紙にて、被告早川に同公開質問状を被告佐藤に渡すよう依頼しました。

 同公開質問状においては、私の論文において、社会通念上「滅茶苦茶」と認識される程度の、被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように書いた箇所はどこか、また、私の論文において、被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように書いた箇所以外の「滅茶苦茶な内容」の箇所はどこか、また、私の論文がいかなる意味において、社会通念上の「言論」ではない、「言論を超えた」「個人への攻撃」であるか、また、首都圏労働組合を「ユウレイ組合」であると規定する根拠は何か、などの点に関して質問しています。被告佐藤は、公的な発言によって、私や首都圏労働組合の社会的評価を低下させたのですから、その真実性を示すために、これらの質問に答える義務を有することは当然です。

 ところが、被告佐藤は、公開質問状が指定した質問への回答期日たる3月11日を過ぎても回答を送って来ず、また、4月11日の原告との電話における『週刊新潮』編集部員佐貫の回答によれば、3月14日もしくはその翌日に『週刊新潮』編集部の本件記事執筆者(塩見洋デスクと思われます)が、原告が管理するブログ「資料庫」でインターネット上に公開されている同公開質問状をプリントアウトしたものを、被告佐藤に送りたい旨を被告佐藤に連絡したところ、被告佐藤は、同公開質問状の受け取りを拒絶したとのことです。

 公開質問状は、送付した翌日の2月26日から私が管理するブログ「資料庫」に公開されており、これは、私が管理する別のブログ「私にも話させて」から容易にたどり着けます。被告佐藤は、『インパクション』の深田編集長に対して、ブログ「私にも話させて」を見ている旨を話していたそうですから、公開質問状の内容を知った上で、受け取りを拒絶したと考えられます。

 被告佐藤が公開質問状の受け取りを拒絶したこと、また、本件記事における私の名誉を毀損する発言の具体的根拠を明らかにせず、私の所属する首都圏労働組合に対する何ら根拠のない中傷によって、私の批判の信頼性を低下させようとしていることは、本件記事における被告佐藤の発言が、弁明しようがない、失当なものであることを示唆していると私は考えます。それは、本件記事における被告佐藤による発言「私が言ってもいないこと」の内容に関して、当初の取材記録と、本訴訟での主張とが明白に食い違っていることからも明らかであって、これらのことは、本件記事における被告佐藤の発言が勘違いまたは無根拠なものであったことを強く裏付けています。

 こうした被告佐藤の姿勢は、何らの誠意も見られぬものであり、本件記事の違法性と重大さを考えると、このような状況のままであることは極めて不当なことと考えられるので、やむなく本訴に及んだ次第です。


12.被告新潮社および被告早川への質問状の送付

 私は2009年3月27日付で、申入書(甲9号証)を内容証明郵便で被告早川に送り、本件記事における私に関する虚偽の記述、プライバシーの侵害の記述を指摘し、そうした記述に関する被告早川の認識等に関する質問を行うなど、徒に争うことなく穏便に解決すべく考え、善処を求めてきました。ところが、被告早川は、申入書で指定した質問への回答期日たる4月6日を過ぎても回答を送って来ませんでした。

 そのため、私が4月14日に被告早川に電話で確認したところ、被告早川は電話に出ず、代わりに電話に出た『週刊新潮』編集部員佐貫は、『週刊新潮』としては、前記の申入書の諸質問について、回答するに値しないと認識しており、回答する気はない旨を述べました。より正確に言えば、本件記事を書いた、佐藤優と昵懇の塩見洋が質問状を受け取り、答えるに値しない、答えなくてよいと早川清編集長に報告し、早川編集長も承認したとのことです。

 しかも、佐貫によれば、塩見は、私が本件記事の虚偽の記述に対して、ブログを開設して反論を行ったことを理由として、私のことを「異常」な人間であり、相手にする必要はない、などと言っているとのことです。しかも、その見解を『週刊新潮』編集部としても是認しているとのことです。一体、この塩見をはじめとした『週刊新潮』編集部というものは、どれほど破廉恥なのでしょうか。杜撰極まりない取材による虚偽の記事で、私の名誉を大きく傷つけておき、それに微力ながらも抵抗しようという行為を「異常」などと嘲笑しているのです。強い怒りを覚えざるを得ません。

 このような被告新潮社および被告早川の姿勢は、何らの誠意も見られぬもので、本件記事の違法性と重大さを考えると、このような状況のままであることは極めて不当なことと考えられるので、やむなく本訴に及んだ次第です。


13.おわりに

 被告佐藤は、具体的には原告準備書面(1)「第3 補足」で詳しく指摘しましたが、自身への批判を回避するために、自身の主張への批判を萎縮させる効果を持つ発言を繰り返しています。

 まず、被告佐藤の怒りを買ったと思われる書き手について『週刊新潮』が中傷記事を書くというケースが、私を含めて、大鹿靖明(雑誌『AERA』編集部員)に関する記事(甲13号証)、原田武夫(原田武夫国際戦略情報研究所代表,元外務省職員)に関する記事(甲15号証)と、短期間の間に3つも存在することが挙げられます。これが、被告佐藤を批判する人物は、『週刊新潮』に中傷記事を書かれるという認識を読者に与える、「見せしめ」の効果を持つ、被告佐藤への批判を萎縮させるための行為であることは明らかであり、憲法第21条が保障する「言論の自由」への挑戦であると言えます。

 『週刊新潮』編集部佐貫(法務担当)によれば、本件記事を執筆した『週刊新潮』記者(塩見洋)は被告佐藤と昵懇の関係にあり、被告佐藤と「毎日のようにやりとりしている」とのことであり、本件記事の発端に、被告佐藤が積極的に関与していることは明らかです。

 また、被告佐藤を批判する人物が『週刊新潮』に中傷記事を書かれるという認識が一般読者に広がっていることを自覚し、そのことを利用して、「近く、週刊誌でスキャンダル仕立ての記事になるかもしれない。」などと、被告佐藤の攻撃対象に対して匂わせるように、自身への批判を萎縮させる行動を行なっています。

 また、被告佐藤は、自身のイスラエルとの関係の深さをことさらに顕示した上で、イスラエル批判者はイスラエルに殺害されても文句は言えないなどと、「言論の自由」を原理的に否定する主張を行っており、こうした被告佐藤の振る舞いおよび発言が、被告佐藤のイスラエル擁護の諸発言を批判することを萎縮させる効果を持つことは明らかであり、テロリズムを背景とした、自身の主張への批判を萎縮させる効果を持つ発言を頻繁に行なっていると言えます。

 また、被告佐藤は、オリックスの宮内義彦会長の発言に対しても、「北海道の右翼が情けないですよね。街宣車で会社の回りをグルグル回るというようなことをして、怖いと思わせなければ、こういう発言はやめないですよね。「発言は自由である。しかし、それには責任がともなう。これが民主主義だ」って」などと、言論に対して暴力をちらつかせて威圧させて黙らせることを積極的に肯定しています(山口二郎編著『政治を語る言葉』七つ森書館、2008年7月1日刊行、242頁。甲28号証)。これが、「言論の自由」の原理的な否定であることは明らかです。

 また、前述のように、被告佐藤が小林による雑誌『SAPIO』および雑誌『わしズム』における自身への批判に対して、直接反論することなく、小林の批判を掲載した『SAPIO』編集長に対して圧力をかけて自身への批判の掲載をやめさせようとしたことは、被告佐藤が「言論封殺」をもっぱらとする者であることを示すものとして、一部マスコミ上でも話題になりました。

 こうした被告佐藤の「言論の自由」への挑戦と言える特異な言動は、多くの人間が注目し、警戒するところとなっています。2009年11月5日時点で99名が署名している「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」(甲29号証。原告が管理するブログ「資料庫」で公開されている)も、「佐藤氏は、言論への暴力による威圧を容認し」ていると述べた上で、本件訴訟にも触れ、被告佐藤と本件記事と論文について、「佐藤氏は、その記事のなかで、同論文を「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容」だなどと中傷しています。これは、市民の正当な言論活動を萎縮させかねない個人攻撃です」と指摘しています。被告佐藤の以上のような特異な言動・行動は、自身の主張への批判を萎縮させるためのものであることは明らかであり、このことは、本件記事が、自身への批判者に対する「見せしめ」のための、被告佐藤への批判を萎縮させるためのものであることを裏付けています。

 以上述べたように、被告佐藤は、批判に対しては言論による反論で応じるという、「言論の自由」の下での基本的な原則を一貫して踏み躙っており、被告佐藤のこのような言動・行動から、本件記事が、私の社会的評価を低下させることにより、論文の信頼性の低下を企図して、被告佐藤が、昵懇の『週刊新潮』記者、被告新潮社、被告早川清と結託して成立せしめたものであり、私への人身攻撃であることは明らかであると考えます。

 被告佐藤および被告佐藤と結託する被告新潮社・被告早川清の行為は、極めて悪質なものであり、日本国憲法が保障する「言論の自由」への侵害であると同時に、それへの挑戦であり、決して放置されるべきでないと考えます。このような行為が放置される場合、日本の言論の発展を大きく歪める、由々しき事態を招くことになることは明らかです。貴裁判所の厳正なる審議と判決を切に願うものです。

以上
  • 2010.04.25 00:00 
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