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> 論文・エッセイ

金光翔「小林よしのりと佐藤優の「戦争」について」 



「辺見庸の警告と<佐藤優現象>の2つの側面」(以下、前回記事と略)でも少し触れたが、佐藤優と小林よしのりの間でこのところ、激しいやりあいが行われており、双方が連載を持っている『SAPIO』の最新号(2008年11月26日号。11月12日売。小学館発行)では、小林が自身の連載「ゴーマニズム宣言」で佐藤を「言論封殺魔」として攻撃し、佐藤が自身の連載「SAPIO intelligence datebace」の欄外で小林とのやりとりについて言及している。

ところで、そこでの佐藤の記述から、面白いことが導き出せるので、取り上げておこう。

佐藤は、小林とのやりとりに関する事実経過を以下のようなものだと主張している。

「①「わしズム」2008年春号(4月発売)の「ゴーマニズム宣言extra」の25頁に私の写真を2か所にわたって掲げた上でそれぞれ「本土の知識人には馬鹿な奴がいて」、「猫なで声で沖縄マスコミに擦り寄る、偽善的な本土の知識人」という記述がなされた。②これについて7月12日付琉球新報朝刊で私が言及した。③7月31日、飯田昌広編集長より①の「記載については、配慮が足りなかった。以後気をつける」との遺憾の意が表明された。④本誌8月20日・9月3日号の「ゴーマニズム宣言」に私に関する言及があった。」

ここの③で挙げられている飯田昌広とは、『SAPIO』編集長であり、前回記事で取り上げた佐藤の、『SPA!』の文章(「佐藤優のインテリジェンス職業相談 第1回 第2回」『SPA!』2008年9月23日号)で、批判されていた人物である。

『わしズム』の件でなぜ飯田が「遺憾の意」を表明しているかの検討は、後で述べるが、ここで注目したいのは、前回記事で書いた私の疑問、すなわち、佐藤は、自分が『SAPIO』編集長へ攻撃していることを、あえて可視化させるために、『SPA!』で書いたのではないか、という疑問について、ここでの佐藤の記述が、裏付けしてくれる材料になっていることである。

佐藤が、小林の「デタラメ」な佐藤批判を載せた(上の記述では、④のこと)として『SPA!』で飯田を攻撃する前に、同様のケース(①)で、飯田が佐藤に「遺憾の意」を表する、という事態を経験していることからすれば、同様のケースで飯田が佐藤に謝ってきた前例があるのであるから、仮に④について佐藤が飯田に謝罪を要求した場合、ましてや今回は飯田が直接に責任を持つ『SAPIO』誌上のことでもあるのだから、飯田がより容易に佐藤に折れてくることは佐藤には分かっていたはずである。

また、③の記述は、佐藤自身が、自分が裏で飯田に圧力をかけていたことを認めているに等しい。私は前回記事で、「佐藤が『SAPIO』の編集長に圧力をかけたければ、本来ならば別に『SPA!』に書く必要はなく、裏で直接やればいいのである。公開でやれば、宮崎のような反発が出るのは自明であろう。佐藤が出版社と裏で手を打つことに何ら躊躇しないことは、以前このブログで書いた、『インパクション』編集長と佐藤の手打ちが何よりも雄弁に語っている」と書いたが、何のことはない、『わしズム』の記述に関しては、既に「裏で直接」やっていたわけである。小林も、『SAPIO』の上記最新号の「ゴーマニズム宣言 第36章」で、

「『わしズム』はわしが責任編集長なのに、「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は、発売されると直ちに「SAPIO」編集長に電話をかけてくる。こんなデタラメな話が許されるのか?」

「「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は「SPA!」9月23日号で書いた通りに、「事実関係で相手をぎりぎり締め上げ」たり、「ねちねちと何度も質問状を出す」手口で、版権引き上げや出版計画の撤回など、あらゆる圧力を小学館にかけている」

と書いている(注)

『わしズム』『SAPIO』または他誌で反論すべき件にもかかわらず、こんな形で「言論封殺」を行う佐藤の卑劣さには、改めて呆れるほかないが、ではなぜ、佐藤は『SAPIO』編集長への批判をあえて可視化させたのだろうか。その理由として、前回記事で私は、佐藤の自身の本の売上部数低下への焦りによる、<出版社に圧力を加えることができるほど佐藤の本は売れている>という表象を作り出そうという意図を挙げた。

私は、今回、『SAPIO』最新号を読み、もう一つの理由が考えられることに気づいた。すなわち、佐藤は、『SAPIO』編集長への恫喝を可視化させることによって、仮に今後自分への批判を載せれば、同じような目にあわせるぞと、他誌の編集長や出版社に警告しているのではないか。『SAPIO』編集長への恫喝は、そのための見せしめなのではないか。

これには前例がある。佐藤による、『AERA』 記者への「公開質問状」が、どんなに控えめに見ても佐藤の過剰反応であることは明らかである。だがそれは、むしろ、「過剰反応」と思わせるところに狙いがあるように、私には思われる。『AERA』 記者への「公開質問状」や、『SAPIO』編集長への恫喝を見れば、雑誌の編集長は、佐藤への批判的見解を誌面に掲載することを躊躇するだろう。言いがかりをつけているとしか思えない佐藤のこれらの反応自体は馬鹿げたものであり、これ自体が単なるハッタリである可能性が高いのだが(後で触れる、佐藤の岩波書店への恫喝とその後を参照)、いずれにせよ、ほとんどが単にサラリーマンであるに過ぎない雑誌の編集長が、佐藤とトラブルになることによって、会社に迷惑を及ぼすことを避けることは明らかであるし、出版社が佐藤の本を刊行している場合は、ますますそうである。そして、大手誌のほとんどは、佐藤の本を刊行している。

何度も書いてきているが、佐藤優バブルは、「佐藤さんはすごい」といった類の共同幻想によって支えられている。小林のような知名度のある人間から公然と批判を受けたことで、
佐藤批判が大っぴらに行なわれるようになってしまえば、佐藤優バブルははじけてしまう公算が高くなるわけである。だからこそ、佐藤は、自分への批判を事前に防がなければならない。『SAPIO』編集長への公開的な恫喝は、売上低下への佐藤の焦りと相まって、こうした焦りから行なわれたのではないか
、と思われる。ここでは佐藤は、「言論人」というより、「佐藤優」というブランドを維持させることに必死な製品の品質管理者のようである。

佐藤が、自分への批判を事前に防ごうと必死なのは、佐藤の文体にも起因しているように思われる。これについて私は以前、「佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(4)」の「注2」で書いたので、引用しておこう。

「佐藤が岩波書店での執筆にこだわるのは、<佐藤優現象>を成立させる基盤に関係があると思われる。佐藤の文章には、(柄谷行人のように)根拠を示さない、または、(落合信彦のように)情報の出所が不明確な断定が非常に多い。佐藤の言明が事実であるかどうかは、佐藤を<信>じるしかないのである。では、佐藤の言明のもっともらしさは何によって担保されているか?佐藤が<一流の思想家>だという表象によって、である。論文でも指摘したが、佐藤は、「左」で執筆しているからこそ、「<左右の図式>を超えて活躍する一流の思想家」なる表象が生まれる。岩波書店が使っているからこそ、他の護憲派ジャーナリズムも安心して佐藤を使えるわけである。また、岩波書店がいまだに保持しているらしい、「学術性」なる表象も、佐藤が<一流の思想家>であることを担保する上で不可欠だろう。佐藤の文章は、読者が佐藤を<信>じるか否かの一点にかかっている。私は前に、佐藤が、もはや熱心な佐藤信者すら追いかけるのが難しいほど多くの媒体で書きまくるのは、自分が「超売れっ子」であるという表象を不断に作るためであることを指摘したが、それと同様に、読者の<信>を失ってしまえばバブルが崩壊するという危険性を、恐らく誰よりも認識しているからこそ、佐藤は岩波書店での執筆にこだわらざるを得ない。」

同様に、佐藤が、くだらない読書量自慢を延々と各誌でやっているのも、自身の<一流の思想家>というブランドづくりの一環であろう。教養俗物ほど騙されやすい人種はいない。

今回の佐藤と小林の争いは、佐藤の焦りがいろいろな面で垣間見られるものであり、各人の注目を呼びかけたい。


(注)ちなみに、この回の「ゴーマニズム宣言」では、私に関する言及があるので、挙げておく。

「さて、沖縄で、すっかり若者からその偏向振りを見抜かれている新聞を、懸命にヨイショする「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は、本土ではあちこちの出版社に圧力をかけて自分への反論を封殺している。ミニコミの編集部にまで弁護士と共に押しかけ、岩波書店の一社員の批判まで封じ込め、『AERA』に書かれた自分の評伝も、気にくわなかったらしく、執筆者を吊るし上げ、やりたい放題!」

また、欄外では、小林のスタッフが、以下のように書いている。

「「実話ナックルズRARE」によると、言論封殺魔は「AERA」に評伝を書いた朝日の記者を、マスコミ関係者が集まる勉強会で参加者の面前で30分以上つるし上げ、その後さらに公開質問状をつきつけ、記者は社内で干されてしまったという。また、ミニコミ誌での批判まで封じ込まれた岩波社員は、「首都圏労働組合特設ブログ」において岩波書店内部で行われている恐るべき言論封殺・弾圧を詳細に報告している。」





さて、佐藤は「1」で挙げた『SAPIO』最新号の自身の文章の③で、『わしズム』での小林の記述に関して、『SAPIO』編集長が自分に「遺憾の意」を表明したことを述べている。

『わしズム』は小林が責任編集長だ。ところが佐藤は、「1」で挙げた『SPA!』の記事では、以下のように述べている(なお、『SPA』のこの記事は、明らかに佐藤自身のことである「ラスプーチンさん(ペンネーム)男性 48歳」が、自分が連載している雑誌で、「政治漫画を長期連載している作家」から「人格的な誹謗中傷」を受けたことについて、「この出版社からは既に本を2冊上梓し、実売で10万部を超えています。私自身の利害と相反する雑誌の編集部とどのように付き合っていけばよいのでしょうか。教えてください」と、佐藤に相談するという形式で書かれている)。

「雑誌は編集長のものです。ラスプーチンさん(注・佐藤のこと)は、担当編集者や、この出版社の執行役員などの幹部とではなく、編集長ときちんと対峙する必要があります」

これでは、③はわけがわからない。佐藤自身の主張に従えば、佐藤が①の『わしズム』の記事が問題だと言うのならば、『わしズム』責任編集長である小林に「きちんと対峙」すればよいではないか。なぜ他誌である『SAPIO』編集長に抗議するのだろうか?

『わしズム』28号(2008年11月売)の背表紙には、飯田は、「編集人」として記載されているので、『わしズム』には編集長が二人いるのかな?だが、佐藤は「雑誌は編集長のものです」とまで言っており、そうした権限を『わしズム』で持っているのが飯田ではなく、「責任編集長」たる小林であることは誰の目にも明らかだろう。また、仮に飯田が『わしズム』の編集長で、③での「飯田編集長」という記述の「編集長」が、『わしズム』編集長としてのものであるとするならば、飯田は佐藤に上記の「遺憾の意」を表明する際、共同の編集長たる小林の同意を得ていることになろうが、小林が同意するようには「ゴーマニズム宣言」の記述を読む限り思えない。だからここでの飯田の肩書きは、やはり、『SAPIO』編集長としてのものだと思われる。だとすれば、小林が『SAPIO』の同号の「ゴーマニズム宣言 第36章」で、

「『わしズム』はわしが責任編集長なのに、「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は、発売されると直ちに「SAPIO」編集長に電話をかけてくる。こんなデタラメな話が許されるのか?」

と書いているように、佐藤の行動はわけがわからないことになってしまう。

飯田は、あっさり佐藤に「遺憾の意」を表明しているから、飯田の行動もわけがわからないのだが、『わしズム』の編集人という肩書きが、編集長とは別個ではあるが、何らかの形で『わしズム』の記述内容に責任を持つ肩書きであるならば、飯田が「責任編集長」より上位の役職(だが、これは佐藤が言うところの「出版社の執行役員などの幹部」である)として、佐藤に謝罪するのは分からない話ではない。ただ、そうすると、佐藤は③で、飯田について、編集長としてではなく、「『わしズム』の編集責任を有する飯田昌広編集人」といった形で記述すべきだろう。ところがそれならば、『SPA!』で述べた「雑誌は編集長のもの」云々という佐藤の原則と整合性が取れなくなる。だから、佐藤が『わしズム』の記述で飯田に抗議したというのは支離滅裂である。

ただ、実は、佐藤は『SPA!』の上記の記事で、『わしズム』の記述に関して、『SAPIO』編集長としての飯田に抗議する理屈を、これが『わしズム』の記述をも意図しているかは不明なのだが、提示しているのである。これはこれで笑えるので、以下、見てみよう。上記の「雑誌は編集長のものです。ラスプーチンさん(注・佐藤のこと)は、担当編集者や、この出版社の執行役員などの幹部とではなく、編集長ときちんと対峙する必要があります。」という発言にそのまま続く箇所である。

「雑誌において、長期連載者というのは特別の意味をもちます。筆者の言説のラインが、編集部の考えに一致しているから長期連載を依頼しているのです。仮にデタラメなことを書く筆者ならば、そのような筆者を排除するのが編集部としての読者に対する責任です。この点について、読者に対する説明責任をどう考えているのか、編集長に釈明を求めるといいでしょう。」(強調は引用者)

佐藤は、この『SPA!』の文章において、「論理だった批判ならば、対応の仕方もあるのですが、私には、この漫画家(注・小林のこと)のやり方は人格的な誹謗中傷としか思えません。」と書いた上で、上記の「雑誌において・・・」云々の発言をしているから、ここでの佐藤の理屈としては、小林の言っていることは「デタラメ」であるから、その小林が「長期連載」を持っている『SAPIO』の編集長は、小林を排除する「編集部としての読者に対する責任」がある、ということになろう。この論理は、この『SPA!』の文章で念頭に置かれていると思われる、小林の『SAPIO』8月20日・9月3日号の文章(上記の④)だけではなく、『わしズム』2008年春号の文章(上記の①)にも適用可能であるから、佐藤が『わしズム』の小林の文章に関して、佐藤が『SAPIO』編集長の飯田に抗議したことは、この理屈ならば一応説明はつくのである。

だが、この理屈であれば、③における飯田の、「記載については、配慮が足りなかった。以後気をつける」という佐藤への回答は、トンチンカンなことを言っていることになるだろう。この理屈の下で佐藤が飯田に要求すべきなのは、飯田が小林を排除すること、または、小林を排除しないならば、小林を排除しないことに関する「読者に対する説明責任」を果たすこと、である。この理屈で行けば、飯田の回答は回答になっていないのだから、佐藤は『わしズム』の件に関して飯田を継続して追及しなければならないが、佐藤の③の記述を読む限り、『わしズム』の件に関しては飯田の「遺憾の意」の表明で解決した、と言いたげに見える。わけがわからない。

佐藤は、『SPA!』では、「雑誌は編集長のものです。ラスプーチンさん(注・佐藤のこと)は、担当編集者や、この出版社の執行役員などの幹部とではなく、編集長ときちんと対峙する必要があります」などと高らかに宣言しておきながら、結局、『わしズム』の件で佐藤がやったことは、「この出版社の執行役員などの幹部」を通じて、小林の自分へのさらなる批判を封じ込ませようと圧力をかけたことではないのか。

実際に小林は、「ゴーマニズム宣言」の上記の回で、「「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)は「SPA!」9月23日号で書いた通りに、「事実関係で相手をぎりぎり締め上げ」たり、「ねちねちと何度も質問状を出す」手口で、版権引き上げや出版計画の撤回など、あらゆる圧力を小学館にかけている」と書いている。佐藤は、『SPA!』の上記の記事でも、前回記事で取り上げたように、「既に刊行した書籍の重版を中止し、他の版元から文庫本を出す」、「現在、刊行中の書籍は一切引き揚げ、この会社で行っている雑誌連載や出版計画などもすべて白紙撤回す」る、そして、「今回の内幕について、どこかの雑誌に手記を寄稿するか、新書本を書き下ろす」ことを示唆しているから、この小林の発言内容は信憑性が高い。

いずれにせよ、佐藤は、「仮にデタラメなことを書く筆者ならば、そのような筆者を排除するのが編集部としての読者に対する責任」とまで述べているわけだから、『SAPIO』から小林が排除されなかった場合、小学館での著書の出版や『SAPIO』での連載を継続することを、小学館幹部や『SAPIO』編集長が謝罪したとか適当な理屈で自己正当化せずに、上記の示唆を実行に移すよう期待したい。というのも、佐藤は、以前、佐藤と親しいらしい『週刊新潮』の荻原信也記者に教唆して書かせたと思われる、私を攻撃した記事(「佐藤優批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」『週刊新潮』2007年12月7日号)の中で、岩波書店をも攻撃しているが、その舌の根も乾かないうちに岩波書店に対して擦り寄っていったような、簡単に妥協する前例があるからである。以前書いたものを改めて引用しておこう。

「「佐藤は、『週刊新潮』の記事で、「『IMPACTION』のみならず、岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」と述べている。

が、佐藤は、『世界』2008年3月号に、「『プーチン20年王朝』シナリオの綻び」という文章を執筆しており、また、『世界』2008年5月号の巻末に掲載されている、岩波書店の「5月刊行予定の本」欄によれば、佐藤と柄谷行人との共著で『国家の臨界――世界のシステムを読み解く――』という本が、5月28日に刊行されるとのことである。これは一体どういうことなのか?

佐藤の言う「社外秘の文書」とは、岩波書店労働組合の文書であって、この件で岩波書店労働組合から受けた抗議に対して私が何ら配慮する気がないことは、すでに「『週刊新潮』の記事について④:「岩波書店の社内問題」への矮小化」「『週刊新潮』の記事について⑦:記事の尻馬に乗る岩波書店労働組合」で書いている。そのことを佐藤が知らないはずはない。また、『週刊新潮』の記事の後で、岩波書店労働組合が「壁新聞」の掲載をやめたという事実もなく、株式会社岩波書店が岩波書店労働組合に対して、「壁新聞」を廃止するという措置を執った事実もない。要するに、『週刊新潮』の記事の後でも、状況は全く変わっていないのである。にもかかわらず、佐藤はなぜ岩波書店の雑誌で文章を書き、単行本を刊行するのだろうか?「安心して仕事が出来ない」「訴訟も辞さない」のではなかったのか?

誰にでも浮かぶ疑問であろう。やはり、「『週刊新潮』の記事について⑤:「<佐藤優現象>批判」の「「佐藤優」批判」へのすりかえ」で述べたように、岩波書店が、佐藤を使うのに躊躇するようになることを防ぐことと、岩波書店に私に圧力をかけさせて、私を黙らせたかったことを理由として、佐藤の岩波書店への(求愛的)恫喝は行われたのではないのか。これまた「言論を超えた個人への攻撃」である。佐藤は、『週刊新潮』の記事であれだけの非難を岩波書店に行なったにもかかわらず、岩波書店の雑誌で文章を書き、単行本を刊行することにした理由を、公的に明らかにすべきである。」

なお、佐藤は、『金曜日』2008年4月11日号の自身の連載「佐藤優の飛耳長目」では、こんなことまで述べている。

「今次訴訟(注・沖縄集団自決訴訟の第一審)の原告団が、『沖縄ノート』の内容に異議があるならば、版元の岩波書店を訪ね、議論をすればよい。筆者も岩波書店とは付き合いがあるが、岩波側は誠実に対応すると思う。」

「訴訟に出ることも辞」さないのではなかったのか?ここからは、佐藤は岩波書店を一旦恫喝しておきながら、佐藤が攻撃した件は何も解決されていないにもかかわらず、岩波書店に擦り寄っていっている姿が読み取れよう。上でも述べたように、これでは『週刊新潮』での攻撃は、岩波書店に私に圧力をかけさせて、私を黙らせて自分への批判を封殺させようとしたに過ぎない、と思われても仕方がないだろう。

今回の佐藤と小学館のやりとりの件も、小林が『SAPIO』で連載を継続しているにもかかわらず、佐藤が小学館での著書の出版や『SAPIO』での連載を継続することをやめない場合、結局佐藤の『SAPIO』編集長攻撃は、私の時と同じように、自分への批判を封殺しようとしたものだった、ということになる。佐藤が自身の主張どおり、『SAPIO』編集長に小林を排除させるよう徹底した行動を取るか、注目すべきである。というのも、佐藤は早速妥協の兆候を見せているのである。

佐藤は、『SAPIO』最新号で、小林とのやりとりに関する「私の基本認識」として、インターネットサイト『日刊サイゾー』でのインタビュー(「よしりんと戦争勃発!」佐藤優ロングインタビュー(前編・後編)を参照することを読者に要請している。
http://www.cyzo.com/2008/10/post_1093.html
http://www.cyzo.com/2008/10/post_1094.html

そのインタビューで、佐藤が『SPA!』の上記の記事について、『SAPIO』編集長の責任に言及している箇所を全て挙げると、以下の通りである。

「私が「週刊SPA!」で書いたことの一つは、編集権の問題です。雑誌にはいろいろな長期連載があります。Aという長期連載者が、Bという別の長期連載者が書いているものはデタラメだと論評している。Aさんの言うとおりだとすれば、Bさんというデタラメな人に長期連載を書かせている雑誌編集部の責任はどうなるのか。こういう問題です。」

「最初から論戦になっていないわけですから、小林さんが問題なのではない。編集権はいったいどうなっているのか、ということについて私は問うているわけです。」

「繰り返しになりますが、私が「週刊SPA!」で訴えているのは編集部の姿勢、編集権の問題はどうなっているのか、ということです。小林さんは、私に関してデタラメなことを言っている。そういう記事を、何ゆえに編集部が読者に見せる必要があると考え、掲載する価値があると考えたのかということです。

「『ゴーマニズム宣言』は『SAPIO』誌上において治外法権化しています」と編集部が認めるのであれば、私だって編集権云々とは言わないわけですよ。「ゴーマニズム宣言」が治外法権化しているのであれば、「SAPIO」は編集権のない2ちゃんねると一緒だということになりますからね。

 小林さんは「SAPIO」誌上で、私の言説を「デタラメ」だと言っている。その私は、「SAPIO」に長期連載をもっている。ウソ記事を書くような人間の連載を放置しておくようであれば、「SAPIO」編集部の責任が問われます。しかも私が「SAPIO」で書いている連載は、デタラメやウソが混じっていてはいけない国際情勢分析です。「SAPIO」編集部は、読者との関係においてどう説明責任を取るのか。」

インタビュー上での佐藤の勇ましい口振りとは裏腹に、このインタビューで真に注目すべきなのは、『SPA!』の記事には明記されていた、「仮にデタラメなことを書く筆者ならば、そのような筆者を排除するのが編集部としての読者に対する責任です」という一節と同趣旨の発言が見いだせない点である。小林を排除せよという主張が消えているのだ。このインタビューの論理からすれば、『SAPIO』編集長は、小林を排除せずとも、小林を排除しないことに関する「読者に対する説明責任」を果たさずとも、佐藤に釈明・謝罪するだけで済むようである。佐藤は、上記の岩波書店に対する姿勢の前例のように、『SAPIO』編集長および小学館との妥協の道を早速準備し始めているように見える。

佐藤が『SAPIO』編集長に対して、自分を取るか小林を取るかの二者択一を迫るという、当初の姿勢で臨むか、注目すべきである。佐藤が切られれば、佐藤にとっては大きな打撃になるだろうし、小林が切られれば、それは小学館上層部が『SAPIO』廃刊を決意したこととほぼ同義であろうから、大変慶賀すべきことである。どちらに転んでも結構なことではないか。


(追記)この文章を書き終わった後、11月18日発売の『FLASH』 2008年12月2日号の「「ゴー宣」バトルを誌上検証だ! 小林よしのり×佐藤優」という記事を目にした。ここで佐藤は、小林から「言論封殺魔」呼ばわりされていることに関して、記者への質問に答えているのだが、その中に以下の、驚くべき一節がある。

「そもそも私は小学館に対して、書籍の引き揚げであるとか連載停止ということは言ったことがありません。それなのに、小林さんはどうしてそう言い張るのでしょうか。」

本文でも部分的に引用したが、佐藤が本文で挙げた『SPA!』の文章で書いたことを、正確に引用しておこう。

「具体的対応としては、既に刊行した書籍の重版を中止し、他の版元から文庫本を出すというのが、いちばん軽い「やり返し」です。会社全体が事なかれ主義で、ラスプーチンさんがこの会社とは信頼して一緒に仕事をしていくことができないという認識をもつようになれば、現在、刊行中の書籍は一切引き揚げ、この会社で行っている雑誌連載や出版計画などもすべて白紙撤回すればいいと思います。そして、今回の内幕について、どこかの雑誌に手記を寄稿するか、新書本を書き下ろすといいでしょう。「編集権とは何か」という問題について、業界に一石を投じればいいと思います。」

「引き揚げ」、「雑誌連載や出版計画などもすべて白紙撤回」とはっきり書いているではないか。

佐藤は、『SPA!』の文章では、「本職業相談は、『SAPIO』8月20日/9月3日合併号(小学館刊)の「ゴーマニズム宣言」第27章を題材にしたフィクションです。実在の人物・団体との間に何か類似性があったとしても、それは偶然の一致にすぎません」と書いており、また、本文で挙げた『日刊サイゾー』のインタビューでも、「「週刊SPA!」(9月23日号)で私が書いた記事は、あくまでもフィクションですから」と述べている。

もし、小林からこの『FLASH』での発言を叩かれれば、まさかとは思うが、それしか論理的可能性が見当たらないので言うのだが・・・佐藤は、『SPA!』で書いたことは、「フィクション」なのであって、自分は『SPA!』の記事では『SAPIO』編集長や小学館に対して何かを主張しているわけではない、と言い張るのかもしれない。仮に佐藤がこう言い張ったら、佐藤ファンは、こんな主張まで擁護するのだろうか?
  • 2008.11.19 00:00 
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