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「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」 

※随時更新しています。

※管理人注:有志の方々から、以下の共同声明文をいただきました。これからさらに署名者を募っていくとのことで、当面このサイトで集約していくことになりました。署名してくださる方は、以下のメールアドレスに、お名前(ペンネーム・ハンドルネームなどでも可)、肩書き(なくても可)、簡単なメッセージ(もしあれば)をお送りください。随時、署名者として加えさせていただきます。なお、お名前に、ブログ・ホームページ等へのリンクを貼られたい方は、URLをご記入下さい。
kyodoseimei@gmail.com (注:メールアドレスが変わりました。2010年10月2日)


----------------------------------------------------------------------
「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」


私たちは、昨今、『世界』『週刊金曜日』その他の「人権」や「平和」を標榜するメディア(以下「当該メディア」)が、右翼ないし国家主義の論調に対して歩み寄りを見せていることに深い憂慮と疑念を抱いています。それを象徴する現象が、「右翼」「国家主義者」を自称する佐藤優氏の積極起用です。

私たちは、佐藤氏の積極起用が、縮小する一方の「論壇」の市場を回復しようとしてなのか、「脱冷戦」の意味を単に「左右の歩み寄り」と読み誤っているのか、その理由をはっきりとは知り得ません。しかし佐藤氏は、言論への暴力による威圧を容認し、イスラエルの侵略・抑圧行為や在日朝鮮人の民族団体への政治的弾圧を擁護する等の、決して許容できない発言を、数多くの雑誌・著作物で行っています。当該メディアが佐藤氏を積極的に誌面等で起用することは、人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らかです。私たちは、佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ、いかなる政治的効果を持ち得るかについて、当該メディアの関係者が見直し、起用を直ちにやめることを強く求めます。

そうした問題を鋭く提起したのが、金光翔氏(岩波書店社員)の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)でした。ところがこの論文掲載をきっかけに、『週刊新潮』が金光翔氏を槍玉にあげる記事を公刊しました(2007年12月6日号掲載の記事「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」)。佐藤氏は、その記事のなかで、同論文を「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容」だなどと中傷しています。これは、市民の正当な言論活動を萎縮させかねない個人攻撃です。私たちは、これも<佐藤優現象>の一つだと考えます。それに対し、金光翔氏は『週刊新潮』と佐藤氏が名誉を毀損したとして提訴しました。私たちは『週刊新潮』の報道に強く抗議するとともに、現在の言論の状況に対して一石を投じたこの訴訟への注目と、金氏への支持を広く呼びかけるものです。


2009年10月1日


【署名者(50音順)】

相沢 緑

あべ・やすし

あん こーら(埼玉在住、無職)
「安田好弘弁護士が、佐藤優被告の弁護士として登場して来たことを知って困惑しています。安田氏が仲介役?としてインパクト出版社長と佐藤優に助力したということには、大いに驚かされ疑問を感じますが、まさか右派の言論によって排外主義を煽りたてる国権主義者・佐藤優の弁護を引き受けるなんて……、人生には上り坂・下り坂そして「まさか!」があるのですねぇ。/安田氏がリーダーの死刑廃止運動に共鳴してきた者には、これは晴天の霹靂です。安田氏は新宿西口バス放火事件、山梨幼児誘惑殺人事件、名古屋アベック殺人事件、最近ではオウム真理教事件、和歌山カレー事件、耐震強度偽造事件、光市母子殺害事件等々、誰も引き受けたがらない事件の弁護を担当したきたことで知られています。常に不公平さや不運・誤解や無理解へ毅然と立ち向かう強さで注目を集めてきました。その姿に私たちは自分の内側にあるいくつかの未知を探索し、普遍的な正義へと導かれたのでした。/かつて仙台米軍通信施設爆破事件、北海道庁爆破事件、ドバイ、ダッカ、日航機ハイジャック事件等「公安事件」を担当した左派リベラルの人権派弁護士、それが安田氏でした。佐藤優氏の弁護を引き受けるに際して、金光翔氏の<佐藤優現象>批判や原告陳述書を熟読されたことでしょう。かつて共に法廷を闘った「公安事件」の犯人たちの思想とは、対極にある佐藤優氏を弁護するのは、どのような根拠に基づくのでしょうか。私たちを励ましてきた輝かしい法廷闘争への共感という橋を架けることなく、 安田氏は脱皮し変身した排外主義者として法廷に現れるのでしょうか? まさか!/この事件は金光翔氏に対する名誉毀損の民事裁判です。弁護はディべートではありません。法廷では安田氏の人権感覚と思想性が問われることになるでしょう。佐藤優現象の汚染状況は安田氏をも巻き込むことによって、想像以上に深刻であると知らしめるのでしょうか。得たいの知れない佐藤優という溶媒によって、安田氏は溶かされ輪郭があいまいになっていくのでしょうか。まさか!」

安 相準(会社役員)
「同世代の在日朝鮮人として、金光翔氏に強いシンパシーを感じています。」

安 炳鎬(飲食店経営)
「金光翔氏に連帯のメッセージを送ります。右派の論壇では国権論をかざしつつ、左派の論壇では希釈・歪曲・変装した論説を掲げ、リベラルを装う佐藤優氏に怒りを感じる。また一連の<佐藤優現象>から派生する左右の触媒に危機感を覚える。その佐藤氏が参加する「神保町フォーラム」が11月末に「田原総一郎 ノンフィクション賞」を発表するという。魚住昭氏、宮崎学氏等も参加している。佐藤氏が連載している「週刊金曜日」の佐高信氏は幾度となく田原氏を強く批判しているがおそらく、田原氏を祭り上げることには反対と思わる。自ら蒔いた種とはいえ<佐藤優現象>を如何に整理しているのであろうか。」

石塚 淳(生・労働・運動ネット) 

イセキ
「 「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同します。「<佐藤優現象>批判」がマスコミ、言論界に黙殺されていることにに何とかならないものかと苛立ちを覚えていました。このような「場」を設けて下さった方々に感謝と敬意です。裁判を傍聴しに行こう!回りの人に共同声明のことを知らせよう!」

板垣竜太(同志社大学教員)

イダヒロユキ(「ユニオンぼちぼち」組合員、大学非常勤教員、デートDV防止教育者)
「私の09年10月10日ブログ に、「金光翔の「<佐藤優現象>批判」を支持する」という一文を書きました。金さんの主張に全て同意するというわけではありませんが、HP・ブログなどをみていても全体としてはとても鋭く考察を重ねている人なので、稀有な論客だと思うし、そのラジカルなスタンスは、日本社会のなかでとても大事です。主張の基線にはまったく同意します。私の立場からの支持には、金さんは不満もあるかもしれませんが、改憲と戦争国家体制を拒否したいと私は思うし、対北朝鮮武力行使に絶対反対で、その意味で9条維持であるし、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を批判することが重要と思うので。」

ichigeki(「一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ」)
「当ブログは佐藤優氏の週刊金曜日における擁護者である佐高信㈱金曜日社長の情報を扱うものです、しかしながら「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同いたします。声明文にあるように平和、護憲を標榜する言論機関が右翼、国家主義者たる佐藤氏を必要以上に重んじることは言論界における「平成翼賛体制」への道といわれても仕方がないと当ブログ管理者も考えます。/そればかりでなく、金光翔さんは佐藤氏を重用するある言論機関名門企業の一社員でありますが、自身の「佐藤優現象」を批判する言論発表が会社や労組ににらまれ、以前の職場であったまさに花形部署から自ら異動願いを出すことを余儀なくさせられてしまいました。これは会社全体からのパワーハラスメントに他なりません。人権、平和、護憲を代表する言論機関であるはずの当該の会社が一社員にこのような人権侵害とも思えるようなことを行なうことは許されてよいはずがありません。日本の企業社会を批判する佐高信氏のファンとして金さんの活動への共同声明に賛同するのは自然なことです。/佐高氏をも批判の的とする金さんを佐高ファンが支援することを訝しむる向きもあるでしょうが、ファンであるからこそ批判者からの声を真摯に受け止めなければなりません。これこそが佐高氏の著作名にもある「逆命利君」にも通ずる考え方であります。」

鵜飼 哲(一橋大学教員)

ぅきき(奈良県民/ブログ「はにかみ草」/ユニオンぼちぼち組合員)
「排外主義と天皇制(1条反対)に反対せずに、護憲というのは矛盾していると思います。また、金さんが職場で組合をつくって闘っておられることも支持したいです。私も以前の職場がユニオンショップ制の組合で、ハラスメントの被害を受けて御用組合に助けを求めても、何も力になってくれず、悔しい思いをしました。職場での孤立は苦しいものですが、裁判、執筆、組合活動などの金さんの闘いを支持します。」

宇城輝人(福井県立大学教員)

lmnopqrstu(ブログ「lmnopqrstuの日記」)

electric heel(ブログ「アンチナショナリズム宣言」)
「共同声明に賛同します。人権と平和主義をなにより強く主張してきた岩波書店と週刊金曜日の両メディア自らが佐藤への批判論を封じるために卑劣な個人攻撃の主体となったことに怒り、金氏の孤独な戦いに少しでも力になればと、ブログを金氏の応援を中心にして展開させてもらってます。/メディアは転向しても、読者がそれに従うわけではありません。この場が国益論を排した平和主義の出発点になることを期待します。」

大槻和也(大学院生)
「共同声明に賛同するとともに、さまざまな現場での〈佐藤優現象〉の告発など、私のできる所か
らより主体的に対抗していきたいと思います。また、できるだけ裁判傍聴するなどの支援もしていき
たいと思います。」

大村 智(明石書店労働組合)

岡田雅宏

小倉利丸(富山大学教員)

呉 世一

小野俊彦(フリーターユニオン福岡)
「彼の批判に答えようとしないばかりか労働者としての金光翔さんに嫌がらせをしている岩波書店をはじめ、リベラル面をして佐藤優と粘着する排外主義メディア、また、この問題を知っており、かつ「現象」と無縁ではない位置にいながらも保身のために沈黙し、排外主義的メディアとの粘着を続ける全ての学者・知識人に対して、軽蔑の念をもって抗議します。日本の「リベラル・左派」論壇の腐敗を、先陣を切って批判しつづけてきた金光翔さんの闘いを敬服の念をもって断固支持します。」

柏崎正憲(学生)

片山貴夫(社会福祉士)
「金さんの論文に、私の文章も活用していただいたという縁があります。私は(ボイコットをよびかけるまで)『週刊金曜日』を創刊号から欠かさず購読していましたが、あまりのひどい堕落にとうとう怒りを爆発させました。/ 『金曜日』は今となっては、私たちの批判に対して、反省するそぶりさえみせていません。「平和、護憲を標榜する」ことも止めるようになると思います。/私は特に深い考えもなく怒っているだけですが、私の怒りと苛立ちを、金さんは、筋道だった論文にまとめてくれました。/ 岡山県は『金曜日』ファンの勢力が強い土地柄(といっても、「運動」の界隈に限った話でしょうが)で、私が何かの役に立つかどうかもわかりませんが、賛同者の端に加えてください。/私たちの側も、言論人・「文化人」の「権威」に依存してきた、今までの運動のやりかた(大きな会場を借りて、佐高信氏のような有名人に講演してもらうような護憲集会という方法等)を、早く変えなければいけないと考えております。」

勝村 誠(立命館大学教員)

加藤和博
「小生は「週刊金曜日」の読者ですが、以前、突然「佐藤氏」が紙面を飾り、何故に彼の様な人物が記載されるのか?不思議に思いながらその文章を読んでみると彼自身が「国家主義者」「右派」であると自己紹介をしていたので、「金曜日」というメディアがそのような者を登用する意図が理解できず「金曜日」の変質か?と捉えていた。/それ故に、「金曜日」アンケートに「佐藤氏」を登用する理由を明らかにすることと彼の登用を止めることを求める旨を書いた。/今、彼は「マルクス」「エンゲルス」等を語ってこの国を分析している。おこがましくて止めてもらいたいが、一応「左派」的言論ポーズを執っているが本質は変わらないと思う。/彼の様な人物を「左派系」メディアは取り上げ重用すべきではないと思う。」   

金子忠政(定時制高校教員)

川合由香(SATJ 国民性無き全世界協会・日本)

姜 徳相(近代史研究者)

姜 炳佑

菊池恵介(社会思想史)

北爪道夫(教育の境界研究会会員)

きのしたちがや(大学非常勤講師)

亰雜物 (詩人)

金 優綺(学生)
「いち在日朝鮮人として、現在の日本における言論状況に非常に危機感を抱いております。金光翔氏の言論活動を強く支持し、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同いたします。」

金 淳次(団体役員)

金 博夫

金 朋央

金 永聲

木村智哉(大学院生)
「先日、バラク・オバマ米大統領がノーベル平和賞を受賞しましたが、日本国内ではこれを、以前のプラハ演説に続いて「反核・平和」運動に生かそうとする動きが少なからず見られます。かの演説が決して「反核」演説などではなく、単にこれまでのアメリカ外交のあり方を少々口当たりのいい言葉で言いなおしただけのものであることは今更指摘するまでもありません。あれが「反核」と解せるならば、たとえばブッシュ政権下で朝鮮民主主義人民共和国に対してとられた、平和利用を含めての核開発の放棄要求は、「反原発」の崇高な理念に基づく外交であったと理解することも充分に可能であることになります。/ ならばオバマ人気にすがりつく「反核・平和」運動は、その発言が持つ意味を見抜くことができないほどに論理を衰退させているのか、あるいは自らにとって都合の悪い側面は見ないふりをするほどに倫理を衰退させているのか、もしくはその両方なのか。いずれにせよ、諸手をあげての支持など決してできないものです。/<佐藤優現象>のように、「口当たりのよい国家主義」に対する、論理と倫理とを欠いた無惨な歩み寄りは、現在の日本のそこかしこに存在し、決して珍しくはないものになっています。それも保守勢力の側にではなく、むしろかつては「革新」を担わんとしていたはずの人々の側に。従って私は、金光翔氏の言論活動に深い感銘と尊敬の念を抱き、共同声明の末席に加わるとともに、それにあたって我々一人ひとりの日本国籍保持者がその責任の下、金氏の批判力に頼りきることなく、同様・類似の現象への批判を独自に展開していくべきであることを訴えたいと思います。」

栗村美音子(会社員)
「金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」を機に、氏のブログも拝見しています。金氏の批判があってもなお<佐藤優現象>は、現象そのものであるがゆえに、反省されることなくいたるところに現れてきている気がします。そして、金氏個人への不当な圧力も許すわけにはいきません。」

高 和政(文化批評/高校教員)

小塚 太(ピースネット/市民平和基金)

後藤あゆみ(学生)

小林知子(朝鮮史研究/大学教員)

駒込 武(台湾近現代史研究/大学教員)
「「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同し、署名いたします。佐藤優氏の議論が「ファッショナブル」なものとしてもてはやされる状況の中で、今日の世界をめぐる情況に対して真にクリティカルな議論が見えにくく、聞こえにくい事態が生じてしまっています。それは、<書き手>の側の問題でありますが、同時に、知の流通過程において一定の権力を行使する<編集者>たちの知的怠慢、あるいは知的衰弱の問題でもあります。植民地主義や性差別主義、貧困など痛みに満ちた現実とのかかわりの中で、組織的な暴力に抗しながら発せられる声を広く共有できる空間を創造していくためにも、<佐藤優現象>と対峙し、これを批判し続けることが大切だと思います。」

コリン・コバヤシ(美術家・著述家)

権 赫泰(日韓関係研究者)

酒井隆史(社会思想史/大学教員)

坂本純平(文筆家/専門学校講師)

坂本真一(学生)
「「日本国」の闇(「慰安婦」問題、731部隊、関東大震災における朝鮮人・中国人などへの大量虐殺などなどなど)をわずかばかりでも知ってしまった者としてこの共同声明に署名させていただきます。」

さとうしゅういち(民主党員)

柴 俊也 (アナルコサンジカリスト・ネット札幌)

嶋田頼一(無職/元『情況』編集部)
「僕は、2004年から2005年頃の間、『情況』編集部で働いていました。その頃活躍し始めた佐藤優について、メディア関係者向けの講演会をきっかけに、編集部およびその周辺で熱心な会話がなされたり、編集部に近い知人が新たに佐藤優の講演会を企画するようになりました。しかし個人的にインテリジェンスに欠けているせいか、それらまわりの(元)新左翼の人たちが、なぜそれほど佐藤優に「萌え」ているのか理解できず、反応のしようがありませんでした。そして僕が辞めてからですが、白井聡氏や和田春樹氏との対談・座談会を契機として、佐藤優氏が誌面に積極的に登場していくようになりました。/もともと『情況』が「平和的・進歩的」なクオリティマガジンと認識されるような雑誌であるわけでもなく、また辞め(させられ)た職場とはいえ、左右の媒体によって言葉を使い分けることがすでに知られている人間を、積極的に誌面に起用されていることに対して困惑を覚えていました。辞めて以降も付き合いのあった編集部の人間に、多少話したことはありますが、なにか結論があったということはありません。すでに僕自身は違う仕事に就き、そういったことを積極的に言葉にできる力もなく、もやもやを抱えていたなか、ほぼ同世代の金光翔氏による「〈佐藤優現象〉批判」が『インパクション』に掲載され、霧が晴れるような思いで何度も読み返すことになりました。/しかしまた、金光翔氏が再三指摘されているように、〈佐藤優現象〉は佐藤優個人の問題にとどまるものではありません。最近では、佐藤優と同時期に同じ国家論で活躍を始めた萱野稔人氏が、排外主義を容認する主張を繰り返しています。しかし、たいした批判は起こらず、人文・左派系出版社やインディーズ系労働組合が、出版物やイベントで彼を起用し続けています。こういった事態も、規模は小さいとはいえ、その〈現象〉の一変種のように感じています。/そういった思想と運動の両面において困難な状況が続くなか、金光翔氏は、いわゆる「論壇」とはべつの場所から、思考の地平を粘り強く切り拓かれてきました。職場・週刊誌によるさまざまな弾圧が報告されています。金光翔氏を孤立させず、新たな思想と行動へのきっかけとして、金光翔氏への注目と裁判への支持を、すべてのみなさんに訴えたいと思います。/岩波書店および岩波書店労働組合は、金光翔さんへの嫌がらせをやめろ!/佐藤優および週刊新潮は、非を認め金光翔さんにさっさと謝罪しろ!」

島原登志郎 (PeaceMedia)

junyun (会社員)
「メディアも企業体なので営利の追求も最低限必要なのかもしれません。しかし自由や民主主義を守ることにおいて闘うことが期待される「リベラル」な言論機関として、国家主義的な言説を「無意識」にではなく、「意識的」に迎合してゆく総雪崩現象に危機感を抱いています。」 

愼 蒼宇(近代朝鮮史研究者)

鈴木ヒデヨ

鈴木裕子(女性史研究者)

ZED(同人誌即売会主催者)
「金光翔氏の闘争に賛意します。昨今の日本における右傾化により、在日同胞を含む多くの外国人に対する生活権の抑圧と人権侵害は悪化の一途をたどっています。日本の「左派・リベラル」と言われて来た言論機関がそれに歯止めを掛ける事を忘れて「佐藤優現象」にのめりこんで己を見失い、社会の右傾化にストップを掛けるどころか助長させているのは大きな原因の一つでしょう。一人でも多くの同胞がこの闘いを知り、立ち上がる事を祈ってやみません。」

世界市民(会社員)
「佐藤優を重用する『週刊金曜日』、『世界』等よ!いったい、どうなってしまったんだ!国家主義や排外主義に侵食されるな!」

瀬戸啓至(会社員)
「共同声明に賛同します。金さんの論文を完全に黙殺している日本の論壇の腐敗に唖然としています。
最近本の整理をしたのですが、<佐藤優現象>に加担している人物の本を処分したら本棚がたいへん広くなりました。金さんの論文に対して「左派の内ゲバ」と評している人がいたのですが、それはま
ったく違うと思います。人種差別や人権侵害を容認することは、許されないと思います。」

徐 京植(作家、東京経済大学教員)

園良太(ブログ「diary of RS」)
「国民国家/出版不況 という「現実」に負けてだらだら流され続けるのは、もう終わりにしよう。」

竹村正人
「金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」は本当にすごい論文だと思います。それが『インパクション』に載ったというのはとても重要なことで、『インパクション』誌としても喜ぶべきことだと思いますし、本来であれば特集を組むなり、もっと発展させてよいテーマだと、『インパクション』誌読者として私は思います。しかし、金光翔氏のブログを読む限り、その後の『インパクション』編集長である深田卓氏の対応は、金光翔氏の論文、および金氏からの問い合わせに対してとても否定的かつ不透明で、おかしいと思います。私はかつて『インパクション』の愛読者で、誌から多くを学びましたし、今でも応援したい気持ちがあるので、寄稿したりもしましたが、「<佐藤優現象>批判」掲載後の対応をめぐる金光翔氏からの批判に応えていないことは解せないし、支持できません。編集長、および編集スタッフの方々はぜひ、『インパクション』誌として<佐藤優現象>について、あるいは金光翔氏からの批判に対して、反論なり弁明なり、意見を公開していただきたいです。」

竹森真紀(北九州がっこうユニオン・うい)

茶畑 進(静岡反戦共同闘争会議)

張 領太

鄭 栄桓(在日朝鮮人史研究者)

鄭 剛憲(在日韓国人2世)
「リベラル派の無残なまでの総崩れに深く深く憂慮しています。」

鄭 星姫
「「週刊金曜日」の購読を止めました。止める事でしか意思表示出来なかったのですが、「共同声明」に署名することで皆さんに連帯したいと思います。」

 昌淳

程 禎必
「テレビに出ている解説者や論説者たちの話を聞くと、もちろん私の主観ではありますが、大部分は右派的であるように思います。特に北朝鮮拉致問題で騒々しくなって以後から、この傾向は著しいように思います。佐藤優現象が各種メディアに氾濫している状況という、今日の悲惨な現実の中、日本の進歩陣営が再生するか、大変気になります。(原文韓国語)」

常木みや子(専業主婦)

常野雄次郎(フリーター/ブログ「登校拒否への道」)
「金光翔さんが行ってきた的確な現代日本の政治状況に対する批判に、『週刊金曜日』をはじめ「左」派媒体・知識人は応答していません(「<佐藤優現象>批判」スルー現象)。また、金さんへの一連の言論弾圧にも目を背けることで加担しています。これは異常事態です。異常事態が異常と認識されていない異常に驚かなくてはなりません。このような理由から、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同します。」

手島大輔(千葉県在住/農業、指物職人)

徳岡輝信(教育の境界研究会会員)

匿名
「私の勤務する出版社でも佐藤氏の著書を出しているが、担当編集者とは意見を異にします。私は今回の共同声明に賛同し、金さんを支援します。」

匿名(Kobepil)
「사실 자세한 내막은 제가 지식이 부족해서 이해하지 못하고 있는 부분이 많이 있습니다만, 작은 힘이 나마 서명에 참여합니다.」(管理人訳:実は詳細な内幕については、私の知識不足で理解することができずにいる部分がたくさんありますが、微力ながらも署名に参加します)」

中島 周

中西新太郎(横浜市立大学教員)

永野 勇(市原市民)

永野 潤(ブログ「猿虎日記」

中野敏男(東京外国語大学教員)

根津和彦(会社員) 
「確かに、最近の世界と言う雑誌に此の人物の主張が掲載された事を、新聞広告を見て知り、岩波迄も中央公論のようになって行くのかと言う思いを感じました。彼ほどマスコミを通じて、国家第一との危険な考えを吹聴している人物はいないと、最近思っています。若い人達は、此の様な扇動者の口車を無視し、東アジアの平和が一日も早く実現出来るよう、民間ベースでの小さな交流を努めるようにしてください。兎も角賛同致します。」

根津朝彦(大学院生)
「金さんの「<佐藤優現象>批判」に目を開かされた一人です。単に共感するだけでなく、金さんの一言、一言が自分自身への批判として感じられることが多くあります。/私が最も解せないのは、「<佐藤優現象>批判」はもとより、金さんの訴訟をマスメディアが全く取り上げないことです。なぜ黙殺するのか。なぜ議論を封じてしまうのか。判決が出た時点でベタ記事にすればいいだろう位の気持ちがもしあるとすれば、何のためのジャーナリズムなのかと思わざるをえません。多くのしがらみが存在するとしても、現実批判の役割を全て放棄すれば、長期的に見てジャーナリズムがどのような末路をたどるのか、それは中央公論社含めて歴史が証明しているところです。/NHK番組改ざん問題を起こす日本のジャーナリズムの体質を変えていくためにも、金さんの批判と行動を看過していいはずがありません。「<佐藤優現象>批判」を始めとする金さんの論考が単行本として出版され、さらに多くの人の目に触れてほしいと考えます。」

野田隆三郎

野本ゆかり(東京都在住)
「金さんのブログを読み進めれば進めるほど、週刊金曜日が危険な渦中にある事が手に取るように分かりました。ここは賛同させて下さい。」

萩原俊治(ドストエフスキー研究者/ブログ「こころなきみにも」)

hakuainotebook(「博愛手帖」執筆者)
「先日さる集会に行った時、面白いお年寄りに出会った。その方は元司書で、今は「図書館九条の会」などの団体に属しているが、彼が図書館員を志したのは55年前(!)の『世界』のおかげだという。新生日本にはさらなる前進が必要である、しかし「暴力革命」は好ましくない……などと漠然と考えていたところに出会ったのが、図書館が「平和革命」の発信地たりうるとした、『世界』掲載の羽仁五郎の論文だった。これにうたれた彼は本当に司書となり、以来憲法擁護と民主主義のために今日まで尽力して来たそうである。これは、ある人生の進路を決定してしまうほどの力有る言葉が『世界』を彩っていた一つの証明であり、現在も存続するこの雑誌の編集者たちは、彼のような存在を誇りにしてよいだろう。 /しかるにわたしは現在の『世界』でそのような文章をついぞ読んだことがない。それどころか現在の『世界』の編集者は、かつてのこの雑誌の理念とそれに勇気づけられた読者を、表面上は賛美しながら内心では疎んじているのではなかろうか? 「佐藤優現象」は単なる停滞ではなく、逆走である。年金暮らしで『世界』は図書館で読み続けているという元司書は、「戦後民主主義の初心」とでもいうべき精神を保ち続けていたが、彼の側では現在の同誌もまたそれを維持しているとお考えのようだった。こういった御年配の読者は他にも多かろうが、彼らは「ファシズム」を賛美する人物すら自身の言論の中枢に置こうとする出版社の動向が見えていない。より自覚的な人々は「戦後民主主義」もまた多くの限界を持っており、そこから遥かに進まねばならないことを知っているが、『世界』はその出発点からも全速力で逆走(後退ではない)している。つまりこの雑誌は、長年の読者を瞞着しながら、その読者たちの錯覚を利用して枯れかけた知的威信と経営の面目を保とうとしていることになる。そこに志操の錯乱と知性の粉飾以外の何が生まれようか? そして新しい読者がそのような媒体をどうして支持出来ようか?」

朴 英蘭

橋野高明(同志社大学人文研・研究員)

Hadara Yabanye(ペンネーム) 
「かねてより、佐藤氏が右翼・左翼・軟派のメディアに応じて内容や主張を書き分け、にも拘らず出版社が彼の原稿を有難く押頂いていることを気味悪く感じていました。メディアでのプレゼンスを高めたその後に、彼は何を求め画策しているのかと勘ぐります。/ 『週刊金曜日』については副編集長に苦言を呈し、教科書記述問題における佐藤氏の文科省・修正主義史観寄りの立場について申し上げたことがありましたが、一笑に付されてしまいました。編集者たちも手玉に取られていると思わざるを得ません。/佐藤氏は田母神元空自幕僚長を支援したアパホテルの元谷外志男に共鳴する言辞さえ惜しんではいません。また外務省のアラビストを嫌悪し、安全保障政策を追求すべくイスラエルと交流を深めシリアなどに研修生を送るべきではないとまで言っています。パレスチナ問題に対する冷淡さは、「テロとの戦争」という虚構を前提にしたものと理解せざるを得ません。/メディアは「言論の自由」の陰で胡坐をかかずに、もっと主張の主体についても検証的な態度を執るべきであると思わずにいられません。」

服部一郎(一橋大学大学院)
「共同声明に賛同します。いい加減佐藤優の名前を左派系メディアにて目にするのは我慢できません。彼が客観的に果たしている役割をはっきりと宣伝していく必要があると思います。左派系メディアにおけるおかしな陰謀論や謀略論の氾濫、佐藤優の登場、そろそろ何とかせねばろくなことになりません。」

早尾貴紀(社会思想史/大学教員)

林田 力

原口 剛(都市社会地理学/大学講師)

東本高志(大分市民)
「金光翔さんの闘いを孤高の闘いに終わらせるわけにはいきません。佐藤優現象に関する金光翔さんの論文は、わが国の代表的な進歩的な雑誌と目されてきた、いまも目されている『世界』(岩波書店)、『週刊金曜日』というジャーナリズム内の「『戦後民主主義』体制下の護憲派が」、「改憲後の国家体制に適合的な形に再編成されていくプロセス」(金光翔氏)、また負の「徴候的な現象」(同)を剔抉して見事です。とりわけ同論文5章1節の「ナショナリズム論」、同2節「ポピュリズム論」に私は愁眉を開かれる思いでした。これはまさしく現代の「転向」問題といってよいのだ、と私は思います。女性史研究者の鈴木裕子さんも賞揚されるように、金光翔氏の論稿は、「日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめている」ときに、「その分析力の鋭さ」において、私たちの国の雑誌ジャーナリズムの暗愚の正体の在処について「大きく示唆を与えてくれるもの」です。「在日」だとか「日本人」だとかにかかわりなく、まさに「前途多望な若い思想者」、本物の思想者が登場したのだと私は思います。私は金光翔さんの闘いに連帯します。」

檜原転石(ブログ「ヘナチョコ革命」)
「 <“イスラエル支援もの書き”のボイコットの勧め> 『週刊金曜日』の創刊号からの購読者である私は、毎月第4週の発行号の4頁を占領する佐藤優の誌面を、まともなもの書きに開放したらどんなに素晴らしいものかと夢想するのだが、それは文字通り夢想に終わりそうだ。/目の前の人種主義や植民地主義を擁護するもの書きが歴史の有名人と遊ぶのは勝手であるが、『週刊金曜日』といえば、今現在のパレスチナの無名の民のためにイスラエル支援企業ボイコットを呼びかけたのではなかったのか?それでいてイスラエル支援もの書き(佐藤優)の『週刊金曜日』連載を継続とは、呼びかけそのものが悪い冗談だったと思わざるをえない。/そういえば現在も『週刊金曜日』の編集委員の本多勝一は、過去にこんなことを書いている。 /▼本多勝一(編)『文筆生活者の方法』(晩聲社)[47 拝復 藤井篤様 本多勝一](p224)より―─お便りありがたく拝見しました。しかしながら、私が最も重大視している「大江式オオザッパ」の核心を、あなたもまた理解されていません。それは「他人に行動を呼びかけること」との矛盾です。文春に協力している文筆家でも尊敬できる人はいますが、彼らは他人に呼びかけたり大仰に「声明」を出したりはしません。大江氏がもし他人にこういうカッコいい呼びかけをやらないでいれば、「呼びかけられた側」の1人としての私はそれほど問題にしなかったでしょう。私にはこれほどひどい矛盾は耐えがたいし、日本以外の知識人にはたぶんありえないことだろうと思ったので、その整合性を問いただして私も学びたかったのです。******/《私にはこれほどひどい矛盾は耐えがたい》と本多勝一は言うのだが、大江健三郎のその矛盾(文春に協力しながら反核などを呼びかける)より遙かにひどい矛盾を『週刊金曜日』が今現在行っているのです。/たとえば南アのアパルトヘイトを擁護するもの書きに『週刊金曜日』が連載を持たせることなど絶対あり得ない。しかし『週刊金曜日』は、その南アより遙かに悪質なイスラエルを擁護する佐藤優には破格な扱いで連載を持たせる。ボイコットを呼びかけた当の『週刊金曜日』にとってもっとも有効なボイコットが、イスラエル支援もの書き(佐藤優)を切ることなど誰でも分かることなのだ。これは整合性の問題でもあるが、まず第一に道義の問題なのだ。イスラエル支援もの書きの佐藤優の連載において、イスラエル擁護の要旨がなければ問題ないというのなら、イスラエル支援企業のコカコーラの広告を『週刊金曜日』が載せても何ら問題がないことになる。コカコーラはイスラエル支援の広告文など『週刊金曜日』に載せないだろう。」

福田光朝(会社員)

本田洋子
「難しいことは直観で判断する頼りないプーではありますが、「阿修羅」への転載投稿でこれからも応援していきたいと思います。」

本間晃一

前田 朗(東京造形大学教授、在日朝鮮人・人権セミナー事務局長)
「金光翔さんの問題提起に目を覚まされたひとりとして共同声明に賛同します。『週刊金曜日』創刊以来の熱心な読者として、また、さまざまな集会企画に協賛してもらった者として、『週刊金曜日』の現状に懸念を抱いています。『世界』の(常にというわけではありませんが)30年来の読者として、『世界』の現状を残念に思います。特に、『週刊金曜日』編集部におけるジャーナリズム精神の欠如については、私の文章「空に歌えば(32) 『第九で9条』を世界に響かせたい あきもとゆみこ」『マスコミ市民』487号(2009年9月号)に一つの事例を具体的に指摘しておきました(私のブログに公開しています。2009年8月の項)。『週刊金曜日』でさえもこうなのかと思わずにいられません。一事をもって全体を否定的に論定するつもりはありませんが、ジャーナリズム精神の衰退が、金光翔さんの指摘する<佐藤優現象>と密接に関連しています。もっとも深刻なのは、金光翔さんの問題提起を受け止めて議論する姿勢が完全に欠落していることです。最低限のジャーナリズム精神があれば、大喜びで特集を組めるテーマのはずです。」

まささ
「一見口当たりの良い佐藤氏の言葉ですが金氏のブログで目が覚めた者です。近くの図書館で普通の高校生が佐藤氏の人生相談本を読んでいて佐藤氏の影響を改めて感じました。私もリベラル派の総崩れを懸念します。出版不況というのもわかりますがあまりに佐藤氏の意向に影響されている気がします。」

松田亮太郎(図書館司書)

松本武祝(東京大学教員/朝鮮近代史)

宮城康博(ブログ「なごなぐ雑記」

村上 力(記者)

村田 豪(会社員)

文 優子(韓国籍の在日朝鮮人三世)

森 千香子(南山大学教員)

八鍬瑞子(美術家)

やねごん(ブログ「やねごんの にっき」)

山口素明(フリーター全般労働組合)

山田猫三郎
「佐藤優はたしか、某有名批評家との対談で、ファシズムの脅威を言っていました。でもなんだか、ファシズムはヤバいとか口先ではいいながら、じつのところはファシズムと似たような、もっとヤバいものを待望してるんじゃねえか?とか思った気がして、インチキの極みだと思い、某批評家も墜ちたもんだと鼻で笑いました。だいたい左右対立を超えてとか、「なにゆうてんねん!」と一人で悪態ついてました。で、しばらくしてから金さんの「<佐藤優現象>批判」が話題だぞと知人から教えてもらい、読んだんですが「おおこれか!」と目から鱗が落ちました。/総動員型のファシズムへの脅威を説くのは意味がないという金さんの指摘は鋭いですし、のみならず、総動員型ファシズムへの脅威を煽りつつイスラエル=アメリカ的な凶暴な排外主義の脅威の到来を待ち望んでいるんじゃないかと見抜いたところもすごいと思います。それに、ちょうど思想地図とかいう雑誌で五人組(東、萱野、北田、白井、中島)シンポジウムがあり、「これもひょっとしたら佐藤優現象か」とピンときました。佐藤優現象は、金さんもいっていますがべつに佐藤でなくてもなんでもいいんですね。今はたまたまX=佐藤氏ですが、これが別に他の人物になっても同じ現象が成り立つという、いわば複雑な方程式を金さんは見出したわけです。Xのところに佐藤氏以外の人物が入ることもありえるだろうし、のみならず、複数になることもありえるだろうと思ったんですが、それがまさしく五人組だった。でもこれが、これまでの方程式とはちがってかなり複雑なんですが、その複雑さをうまいこと処理して、佐藤優現象=排外主義という答えを導き出した。ネオリベラリズム=孤立化への対抗運動を、社会的なものとか社会統合とかいって排外主義的な一なるものの構築へと導いていくような議論も出てきていますが、これなんかも金さんがいう排外主義には残念ながら抵抗できないでしょうし、いずれ知らぬ間に加担していくんでしょうね。」

山根実紀(大学院生)

山本興正(大学院生)
「共同声明に賛同し、<佐藤優現象>に私も抵抗していこうと思っています。」

山本春成(会社役員)
「インパクション」(2009年10月25日発行)を友人から見せられ驚いた。慰安婦問題を特集しているのだが、そこに朴裕河氏が登場している。朴裕河氏は「和解のために」で大仏次郎賞を受賞しているが、本の内容のあまりの粗雑さと多くの日本人が同調しそうな、歴史認識に錯雑たる気分になった。今回のインパクションにおける文脈も「和解のために」を超えるものではないが、支離滅裂と粗雑さは一貫している。「インパクション」は金光翔氏が<佐藤優現象>を問うた雑誌である。まさしく、<佐藤優現象>を実感せざるを得ない論壇である。」

Yokoita(ブログ「横板に雨垂れ」)
「「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同し、署名いたします。これまでの<佐藤優現象>に対する金光翔さんの闘いには心からの敬意と共感をもっています。今回の訴訟も金さんを全面的に支持します。声明にある「佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ、いかなる政治的効果を持ち得るか」について、当該メディアの関係者が見直してくれることを望みますが、まずは「佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ」てきたのかを率直に語ってくれるメディアや個人がでてくることを願います。読者としての視点からみると、<佐藤優現象>に関わった組織や個人のだれもが単に存在感を喪失しただけのように思えます。」

横山雄一(契約社員)

吉沢樹(ブログ「media debugger」)
「正直言って、私はここ数年「当該メディア」をまともに読んでいませんでした。あまりにも無内容だと思っていたからです。けれど、金光翔さんの「<佐藤優現象>批判」を読み、その判断が間違っていたことを思い知りました。<佐藤優現象>を支えるリベラル・左派を単に見放すシニシズムは、かれらに対抗する言説を模索するべき日本人としての責任から逃れようとする、内なる<佐藤優現象>ですらあったかもしれません。この訴訟が、それぞれの場で<佐藤優現象>と闘う人々の連帯を生み出すことを、心から希望します。」

吉澤文寿(大学教員)

吉水公一(高校教員・「子どもと教科書兵庫県ネット21」事務局次長)

米津篤八(翻訳家)
「金光翔さんからの批判を無視し、孤立させている日本の言論状況は、「退廃」の二文字以外で表わしようがありません。金光翔さんが提起された訴訟に注目しています。」

rawan (会社員)
「「<佐藤優現象>批判」は、なぜ異様なほど単純に変質・転向していくメディア、ジャーナリズム、知識人がそこにあるかを、私に解き明かしてくれた論文でした。戦後、日本が超えようとしなかった「壁」の、その長き時間の経過の中で、まさにその「壁」に背を向けて視界から消し去って歩き出すという醜悪な共通認識の帰結には、断固、対抗しなければなりません。」

李 相旭

李 杏理(学生)
「脱植民地主義を伴わない東アジアの「和解」ムードをつくりあげ、排外主義を温存し、「ありうべき批判を排除する構造」(中西新太郎)をつくりだしたリベラル左派論壇に、少しでも風穴が開き、まっとうな議論がなされることを希望します。」

林 裕哲(学生)

<以上、127 名(2016年8月1日現在)>
  • 2009.10.01 00:00 
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愼蒼宇「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」 

(※管理人注:この文章の掲載に関しては、http://watashinim.exblog.jp/10033978/を参照のこと)


「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」

                                    愼蒼宇(シン・チャンウ 朝鮮近代史研究)

金光翔氏が『週刊新潮』や佐藤優氏を提訴したことは、私もブログ「私にも話させて」の愛読者の一人ですので知っていましたが、この件をマスコミが黙殺していることにはつくづく呆れざるを得ません。そこで、改めて、金氏の提起している「<佐藤優現象>批判」の重要性を指摘し、それに関連して、私見を述べておきたいと思います。

金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』160号、2007年11月)を読み、強い共感を覚えてからもう二年近くがたちました。<佐藤優現象>とは、佐藤による排外主義的主張の展開(とりわけ、歴史認識の問題、対朝鮮民主主義人民共和国、対テロ戦争に対する)が、いわゆるリベラル・左派によって黙認される現象であり、そこでは中国や韓国の「反日ナショナリズム」論やポピュリズム論、格差社会論を媒介として様々な諸勢力がからみあい、もつれあいながら「集団転向の寄り合い」としての左右合作=「国民戦線」(左右の硬直したイデオロギー対立を超える、を名目に)が形成される、と光翔氏は指摘します。

私は金光翔氏の丹念な読解と実証に基づいた論稿を読み、ここ10年ほどのあいだ、ずっと疑問を感じながらもうまく整理することができなかった、朝鮮問題に対するリベラル・左派の対応の在り方の特徴とその背景をようやく構造的に理解することができました。このような思いは、在日朝鮮人に対する日本社会の右から左にまで幅広く跨る、見えにくくも分厚い「壁」にぶち当たってきた人々には痛いほどよくわかるのではないでしょうか(近年は在日朝鮮人の一部も「日本社会は良くなった」「もう差別はなくなった」という趣の発言を陰に日向にして「重宝」されているために、なおさらその「壁」を告発することは困難になっている)。そして、自分は批判的な立場にいるのであって、マイノリティを抑圧する「壁」の側に片足をかけているなどとは少しも思っていないリベラル・左派の人々やそれに野合する周縁の人々は恐らく金光翔氏の論文に不快感を覚えつつも、表だって反論することはせず、陰で批判をしながら光翔氏を排除しようとしていることでしょう。これは光翔氏の指摘がそれだけ図星であったからであると私は確信しています。

光翔氏の論稿から学んだことを参考に、改めてここ数十年の動向を思い描いてみれば、私が大学院に入った頃(1997年)は、いわゆる「テポドン騒動」や戦後補償問題の顕在化に対する右派からのバックラッシュが起こると同時に、リベラル・左派の側にも東アジア諸国から日本に向けて起こる様々な形の反発に対して理解を示すポーズをとりながら、それを批判するなど明らかな「動揺」が起こり始めた時期でした。日本の右派のものであれ、アジアの民衆のものであれ、ナショナリズムの形をとるものの対立・衝突は暴力的であると同時に共犯的である、その悪循環を断ち切れるのは、ナショナリズムを超えた市民的連帯であるという主張がリベラル・左派から盛んに聞こえるようになったのです。その際、連帯のパートナーとしてリベラル・左派の多くが選んだのは、リベラル・左派の知的優位性や良心性を強調してくれると同時に、朝鮮のナショナリズムに批判的な知識人(李順愛氏、朴裕河氏など)であり、対話的な「和解」をキーワードにして、そこに日韓関係(日朝は重視されていない)の新たな可能性があるかのように主張されました。

私は、それこそが「和解」や「市民社会」に名を借りた日本の知識人の自己中心主義的な「アジア主義」の再編であって、被害者や被害国民衆の切実な日本への怒りと連携していくものではなく、むしろ貶めていくものであると感じていました。その典型的な例がこれらの「和解」路線の象徴ともいえる「アジア女性基金」の失敗や朴裕河氏の著作『和解のために』(平凡社、2006年)のヒット(大佛次郎論壇賞まで受賞)であったと思います。リベラル・左派がこうした「和解」路線を志向し、日本に対して徹底反発・対立するアジアの人々の動きや「北朝鮮」の行動から距離をとり、それへの批判を強めることで、皮肉にも排外主義的な日本の右派のバックラッシュや日本国家の無責任に対する対抗力を失っていった(あるいは黙認するようになった)のだと思います。

金光翔氏の論文は、リベラル・左派がその後、拉致問題や9・11といった「外の脅威(外患)」と、新自由主義の進展に伴う格差社会の進展や小泉劇場政治のようなポピュリズムといった「内の脅威(内憂)」に向き合う中でさらに混迷を極め、その中で佐藤優氏という、右側には強硬路線の「国益」戦略を主張し、左側には「人民戦線」の重要性を強調するトリックスターを、まるで左右対立を超える連帯の象徴(救世主?)であるかのように担ぎあげ、自ら「侵略できない国」の原則を放棄していく方向に自爆していくリベラル・左派の様相を実証的に示しています。

光翔氏は職場で「嫌がらせ」を受けるリスクを日々引き受けながら、<佐藤優現象>に対する徹底抗戦を今もブログや裁判闘争を通じて続けています。私は改めてその姿勢を支持すると同時に、私も朝鮮近代史研究に携わる人間として、南北朝鮮・在日朝鮮人や他のアジア諸国から起こる「反日ナショナリズム」への批判を媒介とした、リベラル・左派やその他周辺的存在の「集団転向の寄り合い」による、単純な反日ナショナリズム批判やそれと符合する修正主義的な歴史観の展開や、暴力の真相究明や責任追及をあいまいにする「和解」路線、そしてそういう言論や研究を繰り返している研究者や出版人に対しても、強い抗議の意を示していきたいと思っています。
  • 2009.07.28 00:00 
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板垣竜太氏から「首都圏労働組合」に寄せられたメッセージ  

最近、金光翔氏から岩波書店労組の動きについて事情をうかがい、唖然とした。

岩波の組合がどんな文化をもっているのかは知らないけれども、彼が指摘しているように、これは確かに集団的な「いじめ」の構図になっている。他社の社内のことを、詳しく事情も知らないでとやかくいうのは普通はあまりしないのだが、ちょっとこれはどうかと思うので一筆書かせていただく。

まず、一見些細なことのようだが、頼みこんで読ませていただいた「活動の報告」の該当部分をみると、同じ職場にいれば誰でも分かる人物について、いちいち「Kさん」と書いている。人類学や社会学等では、匿名にする際、イニシャルにするのは御法度で、単に「A」とか「B」とか書き、本人特定につながる周辺情報もなるべく伏せる。つまり「Kさん」と書くのは、匿名化のためではない。むしろこれは、「ほらあの人だよ、彼だよ、Kさんだよ」と、積極的に名指しているのである。第三者には分からないかもしれないが、「われわれ」には分かる「あの人」だ。それも、「あの問題の彼だ」というコードを共有する「われわれ」に向けて、明らかにこの文章は書かれている。それがまずもって気持ち悪い。彼
には「金光翔」という名前があるのだから、そう書けばよいではないか。

さらに驚いたのは、金光翔氏についての職場会を1回、集会を1回、彼を抜きに開いているということである。どちらも50人弱の組合員が参加している。そもそも彼が外部の組合に加入し、社内組合に脱退届を出しているのに、「組合員」とみなしつづけ、なおかつその「組合員」について議題にしつづけ、しかもその「組合員」に職場会・集会の中身を一切伝えないというのは、かなり異常な状況である。

「いじめ」が最も議論される学校現場に置き換えていえば、こういう感じか。「Kさん」はある仲良しグループが嫌でたまらないので、そのグループから距離をとる。ところが仲良しグループは、「Kさん」は引き続き「仲間」だといいつのる。さらに、「仲間をやめようとしているあいつ」とか、イニシャルで「Kさん」と書いた文書をクラス中にバラまいたりする。しかも、彼を抜きに彼の問題を話し合う場をもつが、そこで何が話されたのかをたずねても「内緒!」といって答えない。そのうえ、「君が仲間を抜けることは許されないから、会費を払え」と毎月やってくる。こんなことが起これば、学校現場なら、深刻な問題として対処せざるを得ないだろう。

それだけではない。その場で何が議論されたのかは分からないが、少なくとも労働組合を名乗り、彼を「組合員」とみなし続けるのであれば、会社からの「注意」処分について、組合としての筋を通すべきところではないか。なぜ、一編集者の言論活動が、そこに会社に関係した筆者への批判が含まれていたということで、「注意」されなければならないのか。労働者の利益を擁護する組合であれば、「カベ新聞」がどうのということはおいてでも、まずは会社のそうした姿勢に対して、「組合員」の言論の自由を主張すべきところではないのか。

私も、一応「岩波の筆者」の部類に入るのかと思うが(それとも単著はないから入らないのかな?何を基準にしているのか、よく分からない)、仮に岩波の見知らぬ編集者に活字で批判されたからといって、それは書いた当人に活字等で反論すればよいだけのことである。それでもまだちゃんと本を作ってくれそうな信頼関係にある編集者がいれば、その出版社との関係を続ければよいし、それもうまくいかなければその関係をやめればよいだけのことである。それを、いちいちつむじを曲げてみせ、本人には何も言わずに、「オタクの出版社は何なんだ」などと恫喝する筆者がいれば、その方がどうかしている。それに、そうした若手編集者の言論に対して、先輩編集者が私的に諭すぐらいならばまだ分からないではないが、会社トップが「注意」し、さらに各部署で部会・課会を開いて周知徹底したというのは、どう考えてもやり過ぎである。

いずれにしても、編集者は、個人として表現する自由をもっているし、それを本来組合は擁護すべきである。もっとも、食堂に貼りだしてあった「カベ新聞」について、それを彼が「盗用」したとか「改竄」したとか、知られてはまずい社内情報を漏らしたといかいうのであればともかく、とりたてて「社外秘」にすべき内容を含んでいるわけでもない文章をただ「引用」したぐらいで目くじらを立てて、全組合員に文書をばらまくような組合であれば、その辺も厳しいかもしれない。

一見、話は飛ぶようだが、先日、VAWW-NETジャパンのNHK裁判の最高裁判決が言い渡された。これについては、メキキネット(メディアの危機を訴える市民ネットワーク)のメールマガジンに書いたし、それを元に、これから出る『インパクション』164号にも原稿を寄せたので、詳しくはそちらを参照していただくことにして、私はそこで「組織体としてのマスメディア」が一枚岩になってしまうことを問題にした。高裁判決では、放映直前まで制作現場が取材対象者の信頼を維持していたのに、直前に政治家の意図を忖度したNHK幹部が番組をねじ曲げたことを問題視した判決だった。つまり構図としては「政治家-NHK幹部」対「制作現場-取材対象者」となっていた。ところが最高裁では「放送事業者」の内部のことは問わず、「放送事業者」対「取材対象者」の構図に全てを収めてしまった。

これでは幹部が政治家の意図をどんなに忖度しようが、それはマスメディア組織「内部」の問題としてブラックボックスになってしまうし、そのことに異議を唱えた現場からの声を踏みつぶしてしまうことになる。ところが、こんな判決に、日本放送労働組合(日放労)は「表現の自由を尊重した判断として評価したい」などとコメントを出し、いろいろ課題は残るが、「日々の業務の中で公共放送としての役割と責任を着実に果たし続けていきたい」とお茶を濁すにとどまった。何か、それと相通ずるものを感じざるを得ない。

組織順応型の、批評精神のないサラリーマン編集者だけで、今後の出版界がもつとは思えない。批評する編集者、筆者とやりあう編集者、編集を批評する編集者がいて、何が悪い。
-----------------------------------------------------

<管理人注>
朝鮮近現代史研究者であり、「メディアの危機を訴える市民ネットワーク」(メキキネット)をはじめとする社会活動でも知られる、板垣竜太氏より、メッセージをいただいた。岩波書店労働組合と私に関する状況を非常に明晰に分析されており、私自身も気付かされた点の多い文章だった。是非ご一読いただきたい。

板垣氏の優れた論文は多い。特に、最近作の「脱冷戦と植民地支配責任の追及――続・植民地支配責任を定立するために」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社)所収)で展開されている、「東アジア真実和解委員会」の構想や、そうした構想の基となっている植民地支配責任概念の定立に向けた模索は、朴裕河的な安易な「和解」ではない、別の方向を考える上で、読者に貴重な示唆を与えてくれる。

また、最近、『朝鮮近代の歴史民族誌――慶北尚州の植民地経験』という大著を、明石書店から上梓されている。
  • 2008.07.09 00:00 
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> メッセージ・推薦文・紹介

中西新太郎氏より:「<佐藤優現象>批判」について 

「〈佐藤優現象〉批判」、興味深く、共感をもって読ませていただきました。佐藤優氏の主張については、金さんの仰るように、陳腐な(とはいえ90年代のグローバル資本主義-帝国主義秩序に対応するものかもしれません)国益論の域を出るものでなく、まるで興味を惹かれません。その主張が、なぜ「リベラル・左派」にもてはやされるのかに焦点を当てたご論文は、現代日本の歴史的位置と状況とを検証・検討するうえで、大変に有効かつ刺激的なアプローチだと思います。その問題把握に深く共感します。

90年代以降の政治言説(もちろん広い意味での政治です)が、言説の社会的・歴史的文脈への自覚を欠き、かつそうした自覚の欠如自体を有効な手段へと反転させて特定の政治舞台をつくり、ありうべき批判を排除してしまう構造を持つこと――この点をあきらかにするために、金さんが提起されているような問題把握が不可欠だと思います。

「論壇」(はたしてこの言葉がいまも有効で適切かどうか疑わしいところですが)をつらぬいている言説の政治を「論壇」が解明することは不可能に近く、「〈佐藤優現象〉批判」は、この困難な課題に挑んだ勇気ある試みではないでしょうか。「言説の政治」が日本社会の歴史的変化とどのようなかたちで共鳴・共犯関係を結んできたかについて検証することの重要性をあらためて感じさせられました。

私としては、70年代に始まった思想・イデオロギー変容と金さんが今回問題とされている90年代の状況とを俯瞰する「言説の政治」分析が必要だと感じています。

上の点とも関係しますが、「リベラル」とは何かについてきちんと議論すべき状況ですね。あいまいなリベラル意識が保守二大政党型の政治舞台づくりに結節していることの問題を金さんは指摘しておられます。それはそのとおりですが、あいまいなリベラル像が、新自由主義対福祉国家型リベラリズムという政治哲学上の対抗とはおそらく無縁に日本社会では流通していることの検討が必要だと思います。それは、「リベラル・左派」がなぜ、「・」で結ばれるのか、という問題ともかかわります。

もう一つ、この論文から触発されたことがらとして、東アジアの諸社会に対し、現代日本の言説政治が、たとえば「反日ナショナリズム」非難に典型的なように、特徴的な排除(排外主義)機能を果たしていることを考えると、「排除されない東アジア」がそうした言説政治のカウンターパートとして不可避的に想定されるという問題があります。「リベラル」な言説もふくめた、言説政治のいわば、「東アジアスパイラル」を批判的に検討すべき状況になっていると感じます。
-----------------------------------------------------------------

<管理人注>
中西新太郎氏から、私の論文を高く評価してくださるメールをいただいたため、該当部分をご本人の了解を得た上で、掲載する。中西氏については改めて紹介するまでもないだろう。現代日本社会へのその鋭い批評からは、私も多くを学んでいる。

90年代以降の広義の政治言説が、「ありうべき批判を排除してしまう構造」を作り出してしまっている、という中西氏の指摘は、特に重要である。

先日も、リベラル・左派系のメディアで活躍するある人物が、私の論文を意識していると思われる文脈で、日本の左派や社会運動は、内部闘争にエネルギーを浪費してばかりで大局に立てていない、などと述べていた。勝手に「一枚岩であるべき左翼陣営」なるものを設定して、その中に勝手に私まで加え(言うまでもないが、一緒にされる筋合いはない。ここ参照)、(批判内容ではなく)批判自体を不当だとしているわけである。「ありうべき批判を排除してしまう構造」そのものだ。こうした独善性に基づいた排除の姿勢は、私が首都圏労働組合のブログで述べている、岩波書店労働組合による私への嫌がらせや、それへの株式会社岩波書店による容認の根底にあるものであろう。

それにしても、リベラル・左派による私の論文への反応は、ほとんどがこんなレベルである。ここで批判した「大学4年生」の文章や、この佐高信の文章が典型であろう。この批判の排除の構造は、批判する主体が日本人であっても当然成り立つが、ましてや私の場合、<佐藤優現象>が排除する当の在日朝鮮人なのだから、二重に抑圧的である。この連中は、「君の利益は、自分たちの方がよくわかっているよ。だから黙っていろよ」と言っているわけだ。どこまで破廉恥なのだろうか。

前置きが長くなったが、中西氏の文章は、多くの示唆を含むものである。他の触発された点については、後日改めて論じたい。
  • 2008.05.12 00:00 
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韓国のインターネット新聞「プレシアン」での「<佐藤優現象>批判」紹介記事(権赫泰氏) 

<管理人注>
韓国のインターネット新聞「プレシアン」(ちなみに、岩波新書の『北朝鮮は、いま』は、ここでの連載をまとめたものである)に、私の論文と、その後の経緯等に関する記事が掲載された。著者は、権赫泰(コン ヒョクテ)氏である。権赫泰氏は、現在、聖公会大学日本学科教授であり、日本でも、しばしば『世界』『現代思想』などに、啓発的な論文・エッセイを執筆している。

その記事の全訳を下に掲載する。なお、掲載と訳文に関しては、権氏の確認を得ている。

「プレシアン」のような、(特に韓国のリベラル・左派への)影響力のあるメディアに取り上げられたことの意義は大きい。記事内容も、非常に的確なものである。逆に言えば、こうしたことを言えない日本のメディア・知識人とは一体何なのか、ということでもある。<佐藤優現象>に乗っかる護憲派メディアに遠慮しているのであろうが、それこそ、「在日朝鮮人に対する日本社会の非理性的な攻撃については、あえて目をつぶる」という、権氏が見事に要約してくださった、私の論文の指摘を反復している。
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日本の進歩に問う 権赫泰の日本を読む(1)

〈佐藤優現象〉と金光翔
――日本の進歩派に対する金光翔の問い

『プレシアン』2008年2月27日
http://www.pressian.com/scripts/section/article.asp?article_num=40080226115432&s_menu=%EC%84%B8%EA%B3%84



 日本を代表する出版社に岩波書店というところがある。少し前に韓国を訪問したこの出版社の前社長を指して、韓国のメディアが「日本を代表する知性である岩波書店」の代表と紹介したことから見て、この出版社は日本だけでなく韓国社会でも日本を代表する「知性」と認められているようだ。

 私もこの出版社が発行する雑誌『世界』を愛読しており、それだけでなく時には筆者として文章を寄稿することもあるので、因縁が深いといえる。『世界』は「世界文化人」という言葉があるほどで、まさに戦後日本社会の進歩/リベラル派の知識の「蔵(くら)」であった。1970~80年代には「韓国からの通信」という韓国民主化問題に関する連載のために、韓国政府から「反韓雑誌/反韓出版社」という「名誉ある称号」を与えられたこともある。筆者も1970~80年代に苦労して手にした『世界』を、練達とはいえない日本語能力ではあったが、辞書をひきつつ一つ一つ読んでいた記憶がある。

 また、岩波文庫や岩波新書などの伝統あるシリーズは、日本の近現代を貫く知性界の「蔵」を重厚なものにしてきた。知性的で進歩的で革新的であることを意味する「岩波文化」という言葉が生れるゆえんである。主に大衆書中心の出版社として名高い講談社と対比される理由もここにある。岩波書店は日本の進歩/リベラルの「蔵」なのである。

 しかしこの出版社で、進歩・知性・革新という出版社のイメージに真っ向から対立するとしか思えない出来事が起こった。この出版社で働く在日朝鮮人青年が会社から、そして会社の労働組合から圧迫を受けているのである。経緯はこうだ。

 岩波書店社員でもある金光翔という韓国国籍の在日朝鮮人三世が、『インパクション』という他の出版社から出ている隔月の雑誌に、最近の日本の社会現象を批判する論文(「〈佐藤優現象〉批判」2007年、160号)を書いた。ベストセラー作家として知られる右派評論家・佐藤優という人物が、『世界』や『週刊金曜日』のようないわゆる進歩・リベラル派の雑誌の常連筆者になっていることを事例として、日本の進歩・リベラル陣営の右傾化現象を問題にしたのだ。

 ところが、この論文に対し右派週刊誌である『週刊新潮』が「佐藤優批判論文の筆者は岩波社員であった」という煽情的なタイトルで悪意に満ちた記事を書き、このために問題が大きくなり始めた。岩波では金光翔に対し圧力を加え始め、よりひどいことにこの圧力に対して抗議をしてしかるべき位置にある岩波書店労働組合が、むしろ金光翔に対するいじめを始めたのである。

 一体何があったのだろうか?そして佐藤優の意図は何であり、彼になぜ進歩・リベラル派の雑誌が競って常連筆者として書かせているのか?そして金光翔はこうした現象をどのようなものと診断しているのか?

2.

「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。国家が自衛権を持つことは当然のことであり、抑止力をどうすれば高められるかが重要だ。憲法を改正しなくても集団的自衛権に対する内閣法制局の解釈を変えればよい。そして周辺事態法が定めている周辺事態に台湾海峡を含ませ、『非核三原則』を緩和し、朝鮮半島有事には核兵器搬入を認めればよいのである」

「日本人拉致問題の解決無しに日朝交渉はありえない。よって北朝鮮に対しても戦争もありうるというカードを示したほうがいい。「敵(北朝鮮)が嫌がることをあえてすること」が情報戦の定石であり、在日朝鮮人とその団体に対する弾圧は、拉致問題解決のための環境を整えるのに助けになる。北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」

「米国議会で推進されている慰安婦決議は事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。米国下院などが何を言っても日本が謝罪する必要はない。中国や韓国が何を言っても靖国神社参拝を小泉総理がやめなかったようにすればいい」

「『大東亜共栄圏』は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。中国の蒋介石政権は米国とイギリスの傀儡政権であり、汪兆銘政権は決して日本の傀儡政権ではなかった」

 核兵器搬入の許容、北朝鮮戦争肯定論、米国議会の慰安婦決議の黙殺、大東亜共栄圏に対する賛美、あたかも右派政治家の板についた発言を聞いているようだが、実際には現在の日本を代表する論客でありベストセラー作家として知られる佐藤優という元外交官の主張を、金光翔氏の論文から抜粋・要約したものだ。

 佐藤優の経歴は若干特異である。1960年生まれの佐藤優は同志社大学神学部を卒業し、同大学で神学の修士学位を取得、1988年から外務省でロシア外交を担当した外交官だ。彼は2002年に背任容疑で逮捕され、保釈後、現在のような旺盛な執筆活動を展開した。こうした経歴のためか、自身の背任事件を告白した『国家の罠』は空前のヒットを記録し、その後約五年間で二十冊以上の著書を書いた。

 金光翔はもちろん彼が特異な経歴を持っており、また最近の日本社会で最も人気のある評論家であるという理由で彼に注目するのではない。上で言及したような歴史認識や情勢判断などは別段新しいものではない。代表的な右派雑誌である『正論』や『諸君』などで容易に見つけられる論理だ。よって「ありきたりの論理にありきたりの根拠」をくり返す彼の主張を一つ一つ取上げてその是非を分かつことは、この論文の目的にはならない。

 問題は佐藤優という人物の考えにあるのではなく、このような明らかな右翼・国家主義者の主張をいわゆる進歩・リベラル派に分類されるジャーナリズムが黙認しているのみならず、これら進歩派雑誌が競って佐藤優を常連筆者として登場させているという現象にある。これを金光翔は「佐藤優現象」と呼ぶ。進歩派ジャーナリズムが右派評論家を常連筆者として登場させる現象こそが、日本の右傾化の現住所をはっきりと示しているといえるのである。

3.

 こうした現象に対し、金光翔は明快に診断する。以下、改憲をめぐる動きを中心に見てみよう。

 日本で最近改憲が現実化する可能性が他のどの時期よりも大きいということは、よく知られた事実である。加えて代表的な護憲勢力である共産党と旧社会党(現社民党)は、護憲を担保できる議席を全く持っていない少数政党に転落している状態である。

 これに対する護憲派の戦略は、既存の護憲層だけでなくより幅広い「国民」層を護憲勢力へと包摂しようとするものだ。この過程で北朝鮮と在日朝鮮人に対する日本社会の非理性的な攻撃については、あえて目をつぶるか、あるいは佐藤のような対北戦争肯定派までも包摂しようとする。また1990年代以降の民主化により、韓国、中国で巻き起こり始めた過去事問題を、韓国、中国の「反日ナショナリズム」であると貶め、「加害」よりも「被害」の側面を強調する。

 言い換えれば護憲派の戦略とは、改憲後(明文改憲だけでなく解釈改憲も含む)の国家体制に適合する形態で生き残るためのリベラル左派の「集団的転向」だということだ。最近日本社会で頻発している在日朝鮮人に対する弾圧(これについては鄭栄桓「反動の時代――2000年代在日朝鮮人弾圧の歴史的位相」『黄海文化』55号、2007年冬参照)と、北朝鮮への非理性的な攻撃に対し、日本の進歩・リベラル派勢力がなぜ口を閉ざしているのか、そしてこうした「黙殺」が国家体制の志向とどのような関連を持っているのかについて、金光翔は答えているのである。

 問題はこうしたリベラル左派の「転向」をどうみるかだ。1990年代まで日本のリベラル左派は、過去事問題に対しある程度「転向的」な態度を取ってきた。韓国、中国などのアジア諸国に対し「謝罪」と「補償」をすることにより歴史問題にけりをつけ、経済大国にみあった政治大国となる路線を想定してきた。しかし形式的な謝罪と補償の構想は、「慰安婦」問題に対する国民基金問題によくあらわれているように、韓国などのアジアの民衆の抵抗により挫折することになる。この挫折に対する焦りが、アジアの民衆らの抵抗を「反日ナショナリズム」と貶める背景として作動することになるのだ。

 しかしこうしたリベラル左派の「転向」は「転向」ではない。リベラル左派により導かれてきた日本の戦後民主主義に、そもそも植民地主義に対する問題意識 がほとんど無かったことに起因しているのである。言い換えれば日本の戦後民主主義は胎生的に植民地主義を内に抱えながら生まれてきたのである。東京大学教授である高橋哲哉が『前夜』の創刊の際に記した次のような創刊趣旨文は、戦後民主主義の本質的な限界を明らかにしている。

「この国の「地金」が剥き出しになってきた。まるで、戦後民主主義と平和主義の全ては、この「地金」を暫時隠していたメッキにすぎなかった、とでもいうかのように。〔…〕一九四五年の敗戦は、民主主義と平和主義の憲法をもたらしたけれども、この国の「地金」に本質的変化はなかったのであろう。いま、再び、戦争と差別の時代がやって来ようとしている。」

 ここで言われている「戦争」とは北朝鮮との戦争を、差別とは「国民」の名のもとに在日朝鮮人を排除するシステムをいう。よって明文改憲のかたちであれ、解釈改憲であれ、戦後五十年間、民主主義と平和主義というメッキに隠されていた地金が姿をあらわす時代が来たということである。

 筆者紹介

 1959年生。高麗大学史学科を経て日本・一橋大学で経済学博士学位(日本経済史)を取得した。山口大学教授を経て2000年から聖公会大学日本学科教授として在職中である。著書に『反日と東アジア』(共著)、『アジアの市民社会』(共著)などがある。

  • 2008.03.10 00:00 
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> メッセージ・推薦文・紹介

梶村太一郎氏による「<佐藤優現象>批判」への推薦文 

ドイツ在住のジャーナリスト、梶村太一郎氏が、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」のメーリングリストで、私の論文を高く評価してくださる文章を投稿しておられたので、御本人の承諾を得て、引用・転載させていただく。

梶村氏は、基本的に商業雑誌であれば両論併記もありうる、問題点は、読者も含めて誌上で論議すれば良い、という立場なので、金とは立場を異にするが、金の論文での護憲派ジャーナリズム批判は、護憲派ジャーナリズム内で徹底的に議論されるべき重要な問題提起である、というご認識である。

梶村氏は、私の論文の感想の投稿の中で、自身が2007年に「日本の論壇で読んだ論考では,非常に数少ない優れた痛快で鋭い批判」とした上で、以下のように書いておられる。

「わたしも、ちょうどマル2年間、訪日していないのですが、その間にこれほど、日本の左派、リベラル護憲派の「転向準備」が進んでいたとは気付きませんでした。事実であれば真性の危機です。

「うんなるほど、さもありなん」というのが、まず最初の感じです。それから、筆者の金光翔氏が何と、76年生まれの在日朝鮮人3世であることに、感銘しました。

なぜなら、わたしには、なぜこのような在日外国人の若い人(わたしの娘と同い年)が、このような論考を書かれるのかがよく理解できるからです。詳しくはまたの機会にしますが、わたしも外国人生活が長く、マイノリティーの力と鋭さを知っているからです。」


そして、私の論文がウェブ上で全文公開された際には、再度、私の論文を紹介する文章を投稿しておられる。以下は、その抜粋である。

「論文は1976年生まれの在日3世による、最近の日本の論壇に対する厳しい批判です。
わたしの見方は、在日外国人のこのような批判は、いわば「炭坑のなかのカナリヤ」のように、日本の危機に敏感に反応した悲鳴です。

日本の知識人はこの批判を警告として真剣に受け止める必要があります。

そして、これは佐藤氏への個人批判ではなく、あくまで<佐藤優現象>の批判ですから、そのようなものとして応答していかねばなりません。

ようやく全文が読めるので,論争がまともなものとして活発化することを希望します。」


なお、梶村氏の、いくつかの啓発的な文章は、季刊「中帰連」のサイトで読むことができる。http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_huna.htm


※追記※
ただし、「花岡和解」を高く評価する梶村氏の見解については、残念ながら、私は同意できない。梶村氏への感謝の念には変わりはないが、重要な点なので一応付記しておく。(2008年7月18日)
  • 2008.02.18 00:00 
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> メッセージ・推薦文・紹介

鈴木裕子「金光翔「<佐藤優現象>批判」を読んで」 

佐藤優氏があちこちのメディア媒体に登場するようになってからも、わたくしは佐藤氏の書いたものに特別な関心を持っていなかった。ところが、昨2007年7月末に米国下院で決議された、いわゆる「慰安婦」問題解決促進決議をめぐっての、『週刊 金曜日』誌上に載った佐藤氏の文章を読んで、ああ、やはり「国権主義者」だったのだなということを確認させられた次第であった。

最近、とみに気になっていることは、言論界全体の論調に「国益」が浸透してきているらしいことである。先の「慰安婦」決議のときも痛感したが、それまで「リベラル」であることを誇っていた言論機関・言論人の、「人権」よりも「国益」の観点を優位におく傾向が顕著になってきたように思える。私見では「歴史認識」をめぐる問題の対応がその見本である。

そういう折に手にしたのが、金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号・2007年11月)であった。1976年生まれ、という筆者の若さにまず驚いた。その読書力にも驚かされた。が、最も舌を巻いたのは、その分析力の鋭さである。日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめているのは、大分前から感じさせられていたものの、その「謎とき」に、金光翔氏の論稿は大きく示唆を与えてくれるものであった。

佐藤優氏の正体は、国家主義者そのものであり、「国益」論者であるのは、先の『週刊 金曜日』掲載の一文を読めば容易に分ることである。問題は、その佐藤氏が左派系・リベラル系メディアにおいてももてはやされている背景・土壌であろう。

さて、<佐藤優現象>と同質なものとして、わたくしは最近<朴裕河現象>なるものがあると思う。朴裕河氏の著作『和解のために』が2007年度の「大仏次郎論壇賞」(朝日新聞社)を受賞してにわかにもてはやされている。が、そこに至るまでに日本側関係者によって周到な準備がなされてきたものと思われてならない。佐藤氏同様、率直にいって朴氏の著作のレベルはどう見ても高くない。リベラルないし進歩派さらにはフェミニストを自称している一部知識人や大手言論機関が激賞している、その背後に何らかの意図や企みが働いているのではないかとわたくしには思われてならない。

金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」は、「一佐藤優」問題にとどまらず、今日の日本の思想言論状況について、多くを考えさせ、触発させてくれる論稿である。それだけにこの論稿を発表するにあたっては相当の勇気を要したであろうことが推測される。また発表後のリアクションも相当程度あるのではないかとの危惧も覚える。前途多望な若い思想者の芽を摘まないでほしいと思うこと大である。
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<管理人注>
私の尊敬する女性史研究者・鈴木裕子氏が、私の論文を高く評価して下さっているとのことだったので、文章の寄稿を依頼したところ、ありがたいことに快諾して下さった。下に、鈴木氏からいただいた文章を掲載する。鈴木氏が指摘している<朴裕河現象>は、<佐藤優現象>と同質の、重要な現象であり、朴裕河をどう評価するかは、ある種のリトマス紙の役割を果たしている。

なお、鈴木氏の著作からは、私は非常に多くのことを学ばせていただいている。特に、鈴木氏による、「国民基金」と、その推進者をはじめとした「国民基金」に関する言説への批判(特に、『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』(インパクト出版会、2002年))は、私の論文の所論とも密接に関連していると思うので、私の論文に関心を持った読者には是非読んでいただきたい。
下のリンク先で、鈴木氏の最近の文章を読むことができる。

「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(上)
「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(中)
「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(下)
  • 2008.02.14 00:00 
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